STONEWALK KOREA 2007 BLOG

世界中の戦争で苦しめられた人々を悼むための碑石を、特別制の台車にのせて、朝鮮半島を縦断して、人力で牽きながら歩く「ストーンウォークコリア」の告知のためのサイト
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オバマ大統領宛のメッセージ
2016年5月27日に広島を訪問したオバマ大統領に向けて、2005年のStonewalk Japanを終えて広島に安置されている碑石を見て、Stonewalkのことを知ってほしい、と、アメリカのドットさんたちがオバマ大統領宛のメッセージを寄せてくれるよう呼びかけがありました。2005年の Stonewalk Japan 、そして2007年のStonewalk Koreaに関わった福岡のメンバー有志が、ドットさんを通じてオバマ大統領宛のメッセージを送りました。

以下に、そのメッセージを紹介します。
 

Saturday, May 21, 2016

Dear President Barak Obama,


 The great news of your first visit to Hiroshima makes us feel there are many possibilities and hopes though we feel anxious and doubtful at the same time.

 In the mid-summer of 2005, the sixtieth anniversary of the atomic bombing, Stone Walk members came to Japan from the USA. Led by them, many people from numerous countries including America and Japan got together and sweated together to draw the one- ton- memorial Stone on a caisson from Nagasaki to Hiroshima under the burning sun.

 The way of the apology these American people felt about the atomic bombing by the USA greatly moved us. We began thinking of an apology to Korean people for the torments which the Japanese imperial government delivered during thirty-six years of colonization. After a while these thoughts led to the Stone Walk Korea in 2007.  Many A-bomb victims exist in Korea. They have been suffering from radiation-related diseases and are still suffering. After the Stone Walk Korea, the memorial Stone is lying peacefully in Hapchon, which is called ‘the Hiroshima of Korea’

 We found that the heavy memorial Stone would not move at all only by the human strength of a few people, but the strength of many people could manage to move it. This seems to show that it is possible to realize the peaceful world without war if we strong-mindedly unite ourselves into one. The power of The Stone Walk made us feel the possibility. That was our greatest joy.
 
 On the other hand, American diplomatic foreign policy extremely tends to lead to wars. To our deep regret Japan and Korea are the same. We fear that your visit to Hiroshima this time may result in enforcing the military alliance between the USA and Japan, and fear that it may cause more and more sacrifices to people living in the areas of American military bases including Okinawa, Yokosuka, and Iwakuni.

 Please be all ears when you listen to A-bomb survivors when you visit Hiroshima!
 Please bear the reality of the atomic bombing in your mind, and take concrete actions for the abolition of nuclear weapons!

 Lastly, the memorial Stone of the Stone Walk Japan has been installed in the front yard of World Peace Memorial Church in Hiroshima for eleven years. Please pay a visit to the location and observe that Stone which was carried in all the way from America. Also please pay a visit to the cenotaph for Korean A-bomb victims in the Peace Park as well.

 We do hope that you, President .Obama honor unknown civilians killed in war from the bottom of your heart and take a big step forward to realize a peaceful world without nuclear weapons.
 
With respect and deep prayer,

The Stone Walk Fukuoka Members
    
 

2016年5月21日

アメリカ合衆国大統領 バラク・オバマ 殿


あなたの初めての広島訪問で、私たちはさまざまな可能性と希望を感じています。また同時に不安と疑問も感じております。

被爆60周年の2005年夏、ストーンウォークのメンバーがアメリカからやってきました。そして長崎から広島まで、アメリカ、日本を始め多くの国々の人たちが集まり、共に汗を流して、燃える太陽の下、1トンの碑石を台車に乗せ人力で曳いて運びました。

アメリカによる原爆投下に対するアメリカの人々の謝罪の気持ちは、私たちの心を強く動かしました。そしてその気持ちは、2007年、韓国での「ストーンウォーク・コリア」につながっていきました。 日本政府が36年間の植民地政策で、韓国の人々に与えた苦しみを謝罪したいと突き動かされたのです。 韓国にも広島、長崎で被爆し、長年病気で苦しみ、今なお苦しんでいる方々がたくさんおられます。現在、ストーンウォーク・コリアの碑石は[韓国の広島]と呼ばれているハプチョンに安置されています。

重い碑石は、2,3人ではびくともしませんが、大勢で曳けば何とか動き始めます。
私たちが強い気持ちで一つになっていけば、戦争のない世界を創ることが出来るという可能性を、ストーンウォークはひしひしと感じさせてくれました。それは私たちの大きな喜びとなりました。

一方、現実のアメリカの外交政策はあまりにも戦争指向が強く、残念ながら日本も韓国も同じです。あなたの今回の広島訪問が、日米の軍事同盟をさらに強め、そして、沖縄、横須賀、岩国をはじめ、米軍基地による犠牲を、現地の人々にますます強いることに不安を感じています。


あなたの広島訪問時には、ぜひしっかりと被爆者の声に耳を傾けてください。
被爆の実相をしっかりと心に刻んでください。そして、核廃絶をめざして、具体的な行動をとってください。

最後になりますが、ストーンウォーク・ジャパンの碑石は広島の世界平和記念聖堂の前庭に11年間安置されています。そこを訪れ、はるばるアメリカから運ばれてきたその碑石をじっくりとご覧ください。そしてまた、平和公園の中の韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも足を運んでください。

オバマ大統領、どうぞ戦争で犠牲になった無名の市民たちに、心からの哀悼の意をささげてください。そして、核のない平和な世界の実現のために、大きな一歩を踏み出すことを切に願っております。

 
敬意と深い祈りをこめて

ストーンウォーク・福岡メンバーズ より

 
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【訃報】廣瀬方人さん
すでに新聞等で報じられておりますが、ストーンウォーク・コリア日本側実行委員会の共同代表のお一人でもありました、 長崎の廣瀬方人さんが、去る1月13日、肺線ガンのため亡くなられました。
14日に通夜が、15日に葬儀が営まれました。

※新聞記事
http://www.asahi.com/articles/ASJ1F66Z3J1FTOLB013.html
http://mainichi.jp/articles/20160114/k00/00m/060/093000c
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160113-OYT1T50143.html

廣瀬さんがストーンウォーク・コリアのパンフレットに掲載するために書かれた日本側の挨拶文をここに再掲すると共に、 廣瀬さんの御冥福をお祈りします。

 
<ストーンウォーク・コリア 日本側挨拶文>
「謝罪と追悼、平和への祈りを込めて」


先のアジア・太平洋戦争において、日本は2000万人におよぶアジアの人々に犠牲を強いました。特に日本の帝国主義政策の下で、日本は朝鮮半島を植民地として支配し、朝鮮の人々に非常に大きな苦しみを与えました。植民地支配に反対する人々を弾圧し、創氏改名を強制し、言葉を奪い、伝統的な文化を圧殺しました。日本が朝鮮半島の人々に対して与えた苦しみや痛みは、私たちがどんなに償っても償うことができないものだと思います。戦後61年を経た今も、日本政府はきちんとした謝罪や補償をしていません。
そのような中で、被爆60年の2005年に米国の市民が長崎から広島まで行った行進「ストーンウォーク」を、私たち日本の市民が朝鮮半島でやろうという計画を立てました。「ストーンウォーク・ジャパン」というのは、米国の市民が広島と長崎への原爆投下を謝罪し、原爆犠牲者とすべての戦争犠牲者の鎮魂を願って行われた行進です。
2007年、今度は私たち日本の市民が「ストーンウォーク・コリア」を行い、朝鮮半島の人々に対する謝罪の気持ちを表明し、同時に戦争において犠牲になられた人々の霊を慰めたいと願っています。謝罪と追悼の歩みが平和な未来に続くことを信じて、一歩一歩祈りを込めて歩みたいと思います。

廣瀬方人(ストーンウォーク・コリア2007日本側実行委員会・長崎)


廣瀬方人さん
廣瀬方人さん(2007年4月29日、ストーンウォーク・コリア出発式にて。撮影:柴田一裕)
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訪韓報告(8/5〜8/18)
(管理者注:緒方貴穂さんがストーンウォークコリア・メーリングリストに投稿された文章を、ご本人の承諾を得て転載します。)

SWKの皆様

緒方です。
鬼怒川流域では甚大な被害が生じ、東京では今朝地震があったようです。皆様大丈夫でしょうか。
昨日はアンドレアさんのことを思い出された方も少なくないと思います。
Stonewalk Japanから10年、「被爆70年」の夏が過ぎました。
去る9月8日、日本の最高裁が在外被爆者への医療費支給を認める判決を出しました。同日、韓国国会前では被爆者の方々が特別法制定を求めて集会を開かれ、姜濟淑(カン・ジェスク)さんたちも参加されていたそうです。在朝被爆者や2世の方も含め、すべての被爆者の方々が十分な医療を受けられるよう願います。

さて、以前少し書きましたが、8/5〜8/18にかけて韓国を訪れました。
遅くなりましたが、以下はその報告です。

初日は釜山から陜川に行き、非核平和大会の野外公演(8/5)や原爆犠牲者追慕祭(8/6)に参加しました。SWKでお世話になった方々との再会が嬉しく、石碑と台車も懐かしかったです。2年後の2017年はSWK10周年にあたり、みんなで集まりたいという話も出ました。また、SWKの子ども向けの本について、姜濟淑さん、挿絵を担当されるオ・チグンさん、出版社の方と4人で話し合う機会もありました。出版は9月下旬頃になりそうです。

参考:
http://www.asahi.com/articles/ASH8B5QS4H8BPTIL021.html
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/21626.html

上記ウェブサイトの記事には、沈鎮泰(シム・ジンテ)さんや韓正淳(ハン・ジョンスン)さんたちのことも書かれています。なお、2番目の記事に「2002年に亡くなったキム・ヒョンニュル氏」と書かれていますが、正確には「2005年に亡くなったキム・ヒョンニュル氏」です。

8/7は河東(ハドン)に行き、故チョン・ソウンさん(日本軍「慰安婦」被害者)の追慕碑やお茶の博物館を訪れました(SWKではお茶の博物館の方々にもお世話になりました)。チョン・ソウンさんが住んでおられた集落は家々の塀に絵が描かれるなど、路地に沿って芸術作品が展示され、「アジア平和ロード」と名付けられていました。

8/8以降は主にソウルに滞在しました。ソウルでは街の至る所に太極旗が掲げられ、「光復70年」を祝賀する雰囲気に包まれていました。ビルに張られた巨大な太極旗や沿道に掲げられた無数の太極旗といった光景は、後日訪れた天安や広州でも見られました。新聞報道も、日本軍「慰安婦」問題や安倍談話、靖国参拝等、韓日関係に関するものが目立ちました。

国を挙げての祝賀ムードとは対照的に、献花し黙祷を捧げる場もありました。8/12にソウルの光化門広場を訪れたのですが、セウォル号惨事のご遺族・ご家族によるテントが張られ、ご遺影と祭壇などが設置されていました。また上述の原爆犠牲者追慕祭や、8/14に参列した日本軍「慰安婦」追慕式(於:天安市「望郷の丘」)でも、献花・黙祷の機会はありました。

8/9、ソウルのギャラリーspace99での原爆展も、黙祷とともに始まりました。会場には、2005年に急逝された金亨律(キム・ヒョンニュル)さんの生涯を振り返る展示もありました。亨律さんが実現をめざした「韓国原爆被害者とその子孫のための特別法」の制定を求めて、姜濟淑さんたちは地道な活動を続けており、「生は続かねばらない」という亨律さんの言葉が思い出されました。

また、同会場では『ヒロシマ・ピョンヤン』(監督:伊藤孝司、2009年制作)の上映会もあり、8/13には伊藤孝司さんによる講演会も開かれました。伊藤さんは今年6月の訪朝取材に基づき、「在朝被爆者」のことを中心に話されました。心に残った言葉のいくつかを紹介します。
  • 在朝被爆者は日本政府による支援を一切受けていない。
  • 日本政府による経済制裁以後、民間交流もほとんど途絶えている。
  • 健在な被爆者は極端に減っていると推測される。
  • 性奴隷(「慰安婦」)被害者についても、話を聞ける状態の被害者はいないと思われる。
  • 「北朝鮮」に対する過去清算が終わっていないことは日本政府も認めており、昨年5月の「ストックホルム合意」を進める必要がある。

特に印象に残ったのは、「私たちが死ぬのを待っているような日本政府には、もう何も期待しない」という在朝被爆者の声です。伊藤さんはこれまでに33回も訪朝されており、「棄てられた被爆者」と題する講演は大変貴重な内容でした。(『週刊金曜日』2015/8/7号、8/21号に伊藤さんの訪朝取材記事が掲載されています。ぜひご一読ください。)

参考:伊藤孝司さんのウェブサイト  http://www.jca.apc.org/~earth/

数日前にソウル市内の病院で再会した日本軍「慰安婦」被害者の方も、会話が難しい状態でした。鼻には経管栄養のためのチューブが付けられ、両手首にはベッドに固定するための紐が巻かれていました。以前は日本語も話されていたのですが、今は母語での会話も難しいご様子でした。時折、空腹や身体の痒みを訴えられ、私はお世話に来られていたご家族の方と一緒に背中などをさすって差し上げることくらいしかできませんでした。「ありがと(う)」という言葉が、唯一私が聞き取ることのできた日本語でした。

8/15に訪れたナヌムの家では、光復70年行事の後、李玉善(イ・オクソン)さん(日本軍「慰安婦」被害者)からお話を伺う機会がありました。以下は通訳を介して伺った李玉善さんのお話の一部です。
「光復70周年になっても、日本はまだ私たちを無視しています。“光復”といっても私たちにとってはまだ本当の“光復”ではありません。1945年、他の人は“解放”されたと喜んで故郷に帰ったけれども、私たちは“解放”ではなかった。まだ戦争だった。日本はまだ私たちのことを無視して、歴史を歪曲している。」

8/12にソウル・日本大使館前の水曜集会で焼身自殺を図られた方(男性)のことも、現場にいた者として忘れられません。日本に戻った後も回復を祈りながら続報を確認していたのですが、8/21にお亡くなりになりました。今も胸が痛みます。

参考:http://japanese.joins.com/article/467/204467.html
  (この記事は8/14付のため、「危篤」となっています。)

久しぶりの訪韓は、懐かしい再会とともに重い課題を再認識させるものでもありました。「光復70周年」は祝賀一色ではないということ、真の「解放」や「解決」を求める人たち、あるいは「棄てられた」人たちが朝鮮半島にいるということ、そのことを強く感じた「70周年」でした。

不十分ですが、長くなるのでここまでにします。

緒方貴穂
追伸:写真を3枚添付します。SWKの石碑と台車(8/5撮影)、原爆犠牲者追慕祭(8/6撮影)。

SWKの石碑(8/5撮影) SWKの台車(8/5撮影) 原爆犠牲者追慕祭(8/6撮影)
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キム・レベッカさんとの交流会
チェジュ島の軍事基地建設反対の闘いの記録映画の上映と交流会を世話してくれた皆さんありがとう。
キム・レベッカさんが福岡に来ると言うので、ストーンウオークのメンバーと久しぶりに会うことができました。
2005年ストーンウオーク・ジャパンから10年になりますが、懐かしい顔がそろいました。
しかもみんな元気で嬉しかったです。
これまで、いろいろ活動してきましたが、こんなにいつまでも仲間意識が強い運動はなかったように思います。
これは、石が重かったからでしょうか?
アメリカ市民が石とともに持ってきた世界平和への思いに普遍性があったからでしょう。
重たい石も力を合わせると長崎ー広島を運び、朝鮮半島も縦断させることができました。
重たい石運びも苦痛は残らず、楽しい思いしか残っていません。
「集団的自衛権」容認だ、武器輸出の解禁だと。
また、韓国のチェジュ島の軍事基地建設、沖縄辺野古の軍事基地建設など世界平和に敵対する動きがつよまっています。
米日韓政府は、戦争への危険性を大きくしています。
反対に、ストーンウオークは米日韓民衆の平和の声を大きくしてきました。
私たちは、いっそう団結してアジアと世界の平和の意思を運びましょう。
伊藤莞爾
レベッカさんとの交流会 レベッカさんとの交流会

 
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Comfort Women/Korea

友人の皆さんへ
アメリカのアンドレア・ルブランさん(ピースフル・トゥモロウのメンバー)から写真が送られてきましたので転送します。
ストーンウオーク・コリア2007の時の写真です。ストーンウオーク・コリア2007には、アメリカから2人が参加。
ソウルでの「謝罪と友好、平和のために」のデモンストレーション。
「日本軍」慰安婦にされた被害者と共に日本大使館に「謝罪と補償」を要求するストーンウオーク・コリア。
ナヌムの家で交流。
「橋下のとんでもない発言」「安倍政権閣僚などの歴史認識」にアメリカの市民たちも怒りの意思を表わしています。


From: Andrea LeBlanc
Sent: Wednesday, May 15, 2013 9:57 AM
Subject: Comfort Women/Korea

We went to the Wed. demonstration outside the Japanese Embassy flanked by police.  The Comfort Women were there ready with banners and flags, (the young people behind them are their grandchildren) and the press was assembled..  The police were across the street.





After the demonstration, one of the ladies walks with us as we pulled the Stone into the square.


We also visited a home for the aging Comfort Women, many of whom had never been able to marry or have a normal life because of the stigma of what had happened to them, … we stayed there overnight.  There is a museum there with graphic pictures of the events that brought them to this place.

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제주-오키나와 평화연대를 위한 제주해군기지건설반대 성명
제주-오키나와 평화연대를 위한
제주해군기지건설반대 성명

제주해군기지가 건설되고 있는 강정마을 현장은 매일 매일 계엄령하에서나 있을 법한 긴장과 충돌이 지속되고 있다. 초보적인 인권과 상식마저 이곳에선 찾아보기 힘들다. 우리가 60여년 전 제주 4.3의 상황을 떠올리게 된 것은 우연이 아니다.

오키나와의 미군정기간동안 학살이 있었다. 한국의 미군정기간 동안 제주4.3학살이 있었다. 아프가니스탄의 미군정기간 동안 토라보라에서 헬만드까지 도처에서 학살이 있었다. 이라크의 미군정기간동안 팔루자에서 학살이 있었다. 미군의 군정에 대한 야전교범은 1940년대 이탈리아와 아프리카북부 점령지역에서 최초로 만들어지고 오키나와에서 완성되었으며 남한에서 재실행되었고 지금까지 유지되고 있다. 미군정이 실시된 어디서나 군정의 마지막단계인 친미정부수립을 위한 총선거 전에 대량학살이 법칙처럼 재연되는 것은 미군군정교범에 따른 필연적인 결과이다. 오키나와와 제주의 역사적 상처는 동일한 가해자로부터 온 것이다.

1990년 걸프전쟁에서 열화우라늄탄이 사용되었다. 1995년 오키나와의 열화우라늄탄오발사고가 있었다. 1997년의 연천의 열화우라늄탄 오폭사고가 있었다. 1998년 하와이의 미군함에서 열화우라늄탄 오발사고가 있었다. 그리고 수원·청주·오산기지와 오키나와의 카데나기지탄약고에 300만발의 열화우라늄탄이 저장되어 있음이 드러났다. 이는 이라크에서 사용된 열화우라늄탄양의 3배가 넘는다. 핵토마호크미사일을 탑재한 핵잠수함이 하와이와 오키나와의 화이트비치를 거쳐 한국의 진해에 기항한다. 이제 이들 미군함정들은 제주해군기지에도 기항할 것은 자명하다. 미군이 주둔하는 기지마다 예외없이 성폭행사건이 빈발하고 있다. 미군이 주둔하는 기지마다 소음과 기름오염과 환경파괴가 빈발하고 있다. 오키나와와 제주에서 진행되고 있는 현재의 상처 또한 동일한 가해자가 존재한다.

한·일·오키나와·제주를 연결하는 가장 결정적인 고리는 유엔군사령부이다. 1951년 9월 8일 일미방위조약과 함께 체결된 요시다애치슨교환공문에 의하면 ‘일본정부는 한국에서의 유엔군활동을 지원하기 위해 모든 시설과 역무를 제공한다’라고 되어있다. 이에 의해 요코스카미해군기지, 요코타 미공군기지, 캠프자마, 캠프 사세보 미해군기지, 오키나와의 캠프 카데나 미공군기지, 캠프 후템마 미해병대기지, 캠프 화이트비치가 유엔사후방기지로 지정되었다. 유엔사령관의 작전통제반경은 비무장지대에서부터 오키나와까지로, 한·미·일 군사동맹은 추상적개념이 아니라 동일한 사령관에 의해 지휘통제 되는 군사기구인 것이다.

한국과 일본 그리고 오키나와와 제주사이에 존재하는 국경이 미군에겐 무의미하며, 그저 하나의 전장일 뿐이다. 오키나와 제주가 같은 역사, 같은 상처, 같은 목표를 공유할 수밖에 없는 이유가 여기에 있다. 한·일·오키나와·제주의 운동이 연대를 넘어 연합으로 발전되어야 할 이유가 여기에 있다.

우리는 강정마을에 건설하려는 민군복합미항의 건설에 우려를 표명하지 않을 수 없다. 군사기지와 민간시설을 함께 건설한다는 것은 상식적으로 이해되지 않는 일이다. 이는 움직이는 탄약고인 군함에서 발생할 우발적 사고와, 상대국으로부터 발생할 우발적 공격에 민간인의 생명을 무책임하게 내맡기는 일인 것이다.

우리는 한·중·일 시민 모두의 생활에 필요한 에너지원의 해양수송로에 긴장이 발생하는 것을 원치 않는다. 긴장을 대비한다는 명분으로 군사태세를 강화하는 일 자체가 사실은 긴장을 유발하는 원천이기 때문이다. 해양강대국들의 팽창전략은 연안국들에게 위협이 되며 연안국들을 어쩔 수 없이 무리한 해양군비경쟁에 내모는 환경을 마련할 것이 분명하다. 해양수송로가 군사화 될수록 위협받는 것은 시민들의 생활이다.

우리는 한·중·일의 새롭고 건설적인 해양제도 수립에 역행하는 해군기지 건설에 반대한다. 제주해군기지는 한국이 이어도수역을 목표로 명시하면서 한·중간 해양갈등의 도화선이 되었다. 한국해군이 제주해군기지건설의 명분으로 주장하는 이어도는 한·중의 배타적경제수역이 겹치는 해역이다. 유엔해양법협약에 따른 배타적경제수역제도란 일본과 미국등 해양패권국에 맞서 제3세계 연안국이 해양관할권을 확대하는데 성공한 역사적 성과물이다. 이 제도가 적용되는 과정에서 한·중·일 동북아해양에서의 갈등이 증폭되어 있는 것이 사실이다. 그럼에도 한·중·일은 서로간의 어업협정체결을 통해 동북아평화적해양제도 건설의 마지막 단계에 들어서 있다. 동북아해양제도건설은 군사주의가 아닌 평화주의로, 협상을 넘어선 신뢰를 통해 완성될 수 있다. 각국이 쌓아온 인내와 양보, 신뢰를 깨는 군사주의는 결코 동북아시아해양의 평화에 도움이 되지 않으며 유엔해양법협약에 정면으로 도전하는 일이다.

우리는 강정마을 주민들과 강정지킴이들에 대한 인권침해와 표현의 자유에 대한 탄압을 즉각 중지할 것을 촉구한다. 주민의 생활에 직결된 문제제기와 항의는 모든 시민의 당연한 헌법적 권리이다. 위법이 예상된다고 예단하여 경찰이 예방차원에서 제재를 가하는 것은 명백한 탈법이며, 법치의 근본을 흔드는 폭거이다. 이는 계엄령 하에서도 있을 수 없는 일이다.

우리는 앞선 역사적 경험을 통해 제주와 오키나와 한국과 일본의 문제가 결코 국경 너머 다른 나라의 문제로 인식될 수 없음을 자각하며 다음과 같이 주장한다.


-기만적이고 위험천만한 민·군복합항 건설 반대한다.
-동북아시아 해양수송로의 군사적긴장을 고조시키는 해군기지건설 반대한다.
-동북아시아의 평화적해양질서 수립 역행하는 해군기지 건설 반대한다.
-주민갈등 조장하는 해군기지건설 반대한다.
-인권을 침해하고, 표현의 자유 탄압하는 경찰청을 규탄한다.
-인류의 자연문화유산 파괴하는 불법공사강행 중단하라.

2012. 4. 7

제주해군기지건설반대 한·일평화행동 (가칭)
후템마 기지폭음소송단, 일한민중연대, 스톤워크 코리아, 한국원폭2세환우회, (등등)
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済州―沖縄平和連帯のための済州島海軍基地建設反対 声明

済州―沖縄・平和連帯のための
済州島海軍基地建設に対する反対声明


 韓国・済州島の海軍基地建設が進められているカンジョン(江汀)村では、毎日まるで戒厳令下のような緊張と対立が続いている。もはや、この村では基本的な人権や常識さえ通用しない。60余年前の済州43道民虐殺事件を想起せざるを得ない状況だ。

 沖縄では米軍政下、住民の人権が蹂躙・剥奪された。済州島の米軍政下でも43虐殺事件があった。アフガニスタンの米軍政下、トラボラからヘルマンドにかけても虐殺事件が起きている。イラクの米軍政下では、ファルージャで虐殺があった。米軍の軍政への戦闘教範は、最初は1940年代にイタリア、アフリカ北部の占領地域で作られ、沖縄において完成された。そして、韓国で再び実施され、現在まで続いている。まるで判で押したかのように、米軍政統治が行われている所ではどこでも、軍政の最終段階である親米政権樹立のための選挙のその直前に、大量虐殺が行われている。これは米軍の戦闘教範による必然的な結果なのだ。沖縄と済州島の歴史的悲劇は、同じ加害者によってもたらされたものだ。

 1990年、湾岸戦争で劣化ウラン弾が使われた。1995年、沖縄で劣化ウラン弾の誤射事故が起きた。1997年、韓国の京畿道ヨンチョンで劣化ウラン弾の暴発事故が起きた。1998年、ハワイ停泊中の米軍艦から劣化ウラン弾が誤って発射された。韓国の京畿道スウォンとオサン、忠清北道チョンジュの基地、沖縄の嘉手納基地の弾薬庫には、300万発の劣化ウラン弾が貯蔵されていることが明らかになっている。これはイラクで使われた劣化ウラン弾の3倍以上の量だ。核トマホークを搭載した原子力潜水艦は、ハワイと沖縄のホワイト・ビーチを経由し、韓国のチネ(鎮海)に寄航する。もはや、これらの米艦船が済州島の海軍基地に寄航するのは自明なことだ。米軍の駐留基地周辺では例外なく、レイプ(性暴行)事件が頻発している。米軍基地周辺ではこれまた例外なく、騒音やガソリン流出など環境破壊が頻発している。沖縄と済州島で起きている今現在の悲劇の加害者もまた、同一だ。

 韓国・日本・沖縄・済州島を結ぶ最も重要な環は国連軍司令部だ。195198日、日米安保条約と同時に締結された「吉田‐アチソン交換公文」には、「日本政府は韓国での国連軍の活動を支援するために、全ての施設と役務を提供する」となっている。この公文書により、横須賀米海軍基地、横田米空軍基地、キャンプ座間、佐世保米海軍基地、沖縄の嘉手納空軍基地、普天間米海兵隊基地、ホワイト・ビーチが国連軍司令部の後方基地と指定された。国連軍司令官の作戦統制範囲は38度線の非武装地帯から沖縄に至る範囲であり、日米韓の軍事同盟は単なる抽象的概念ではなく、たった1人の司令官が指揮・統制する軍事機構なのだ。

 日本と韓国、そして沖縄と済州島の国境は、米軍にとっては何の意味もなく、単なる一つの戦場にすぎない。沖縄と済州島が同じ歴史、同じ悲劇、同じ目標を共有せざるを得ない理由がここにある。日・韓・沖縄・済州島の運動が連帯を越え、連合へと発展せざるを得ない理由がここにある。

 われわれは、カンジョン村に作られようとしている「軍民複合美港(民間用・軍事用複合港湾施設)」の建設に、憂慮を表明せざるを得ない。軍事基地と民間施設が一緒に建設されることは、常識的に理解できないことである。これは、動く弾薬庫ともいえる軍艦で発生する偶発的事故や、他国による偶発的攻撃に、無責任にも民間人をさらすことになる。

 われわれは、日韓中の全ての市民生活に必要なエネルギー源をもたらす海洋輸送路が、緊張関係の中に置かれることを望まない。緊張に備えるという口実で、軍事態勢の強化そのものが緊張を作り出すからだ。「海洋大国」の膨張戦略は沿岸国の脅威となり、沿岸国としては無理な海洋軍備競争に追い込まれる状況を生み出す。海洋輸送路の軍事化が強化されれば、脅威を受けるのはわれわれの市民生活だ。

 われわれは、日韓中の新しい建設的な海洋制度の樹立に逆行する済州島の海軍基地建設に反対する。韓国側が明らかにしたように済州島の海軍基地はイオ島の水域防備を目標にしているため、韓中における海洋衝突の導火線となる。イオ島は韓中の排他的経済水域が重なり合うため、韓国海軍は済州島を海軍基地建設の予定地とした。そもそも「海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)」によれば、排他的経済水域とは日本や米国等の海洋覇権国に立ち向かう第3世界の諸国が、海洋管轄権を拡大するのに成功した歴史的成果と言えよう。確かにこの制度の適用過程で、日韓中の東北アジア海洋水域で軍事的緊張が高まっていることも事実だ。だが、日韓中は互いの漁業協定を締結し、東北アジアの海洋制度を作る最終段階に至っている。東北アジアにおける海洋制度の構築は軍事力でなく平和的に、また交渉を越える信頼によって完成されるものだ。各国がこれまで積み上げてきた忍耐と譲り合いそして信頼を打ち壊す軍事力至上主義では、決して東北アジアの海洋平和を推し進められず、国連海洋法条約に真っ向から挑戦するものである。

 われわれは、カンジョン村民とそれを守ろうとする人々の人権を侵害し、表現の自由を奪う弾圧を直ちに中止することを求める。住民生活と直結する問題提起や抗議は、全て韓国の憲法で認められている市民の当然な権利だ。違法行為が予想されると決めつけ、事前に制裁を加えるなどということは明々白々な脱法行為であり、法治国家の根幹を揺るがす暴挙だ。このようなことは戒厳令の下においても、あってはならないことだ。

 われわれは、これまでの歴史的経験により済州島と沖縄、日本と韓国の問題は決して国境の向こうの他人事とは考えられず、次のように主張する。

―欺瞞的で危険な軍民複合港湾建設に反対する。

―東北アジア海上輸送路における軍事的緊張を増幅する海軍基地建設に反対する。

―東北アジアの平和的海洋秩序の構築に逆行する海軍基地建設に反対する。

―住民同士の衝突を助長する海軍基地建設に反対する。

―人権を侵害し、表現の自由を奪い、弾圧する警察庁を糾弾する。

―人類の自然文化遺産を破壊する不法工事の強行を中断せよ。

2012. 4. 7.


済州海軍基地建設反対! 沖縄−済州、日本−韓国平和連帯行動

 賛同者と 賛同団体

  • いのうえしんぢ(福岡県・Fight for Your Life
  • パク・ムンジェ(北韓医療支援 在米医師)
  • ぺ・トンノク(北九州市)
  • マリア 神田千草
  • 安川寿之輔(不戦兵士・市民の会) 
  • 伊藤シマ子(北九州市)
  • 伊藤英雄(神奈川県・「脱原発かわさき市民」)    
  • 伊藤莞爾(福岡県北九州市)
  • 井上裕子(福岡県・みどりの未来会員)
  • 宇田純子(福岡県福岡市・フクオカ住民投票の会 共同代表)
  • 宇野朗子(福島市→福岡県福津市・ふくしま月あかりの会)
  • 横原由紀夫
  • 岡田 卓己(おかだ たかし・韓国大邱広域市 啓明文化大学教員)
  • 加藤賀津子 
  • 花房恵美子(福岡県、戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会所)     
  • 梶原得三郎(大分県中津市)
  • 岸本和世(札幌市)
  • 岩佐英夫(弁護士)
  • 喜多村憲一(神奈川県・つぶせ!有事法制・川崎市民の会)
  • 吉澤文寿(新潟国際情報大学)
  • 久保田 誼 (長野県)
  • 久野秀明 (名古屋市 あいち沖縄会議)
  • 橋本宏一 (日本国民救援会京都府本部事務局長)
  • 橋本博子(京都府)
  • 橋野高明 (大阪府 同志社大学人文研研究員・日本キリスト教団牧師)
  • 金子なおか (東京都)
  • 金淑美(きん・すんみ、朝鮮新報社 月刊イオ編集部)
  • 鍬野保雄(下関市)
  • 郡島 恒昭(福岡県)
  • 兼崎暉(北九州市)
  • 古賀明江 (日朝友好連帯の会代表) 
  • 高橋信(愛知県平和委員会、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会 共同代表)
  • 高山俊吉 (弁護士)
  • 高秀美(東京)
  • 斎藤京子(東京都・WAM、脱原発川崎市民の会、町田市の朝鮮学校を支援する会、他多数)
  • 山根弘美(北九州がっこうユニオン・うい)
  • 山田恵子(東京都・VAWW RAC『バウラック』)
  • 山田正行(大阪府・アウシュヴィッツ平和博物館)
  • 山本英夫(フォトプラザ・ヤマモト)
  • 寺尾光身(名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会 共同代表
  • 柴田一裕(沖縄とむすぶ市民行動・福岡)
  • 若本洋子
  • 朱文洪  (西南韓国基督教会館主事・北九州市)
  • 渋川慧子 (東京都)
  • 出水 薫(IZUMI Kaoru九州大学大学院法学研究院・福岡市)
  • 緒方貴穂(ストーンウォーク・コリア)
  • 小笠原みどり(福岡市)
  • 小原 紘(NPO法人アウシュヴィッツ平和博物館 理事・我孫子市)
  • 小倉志郎
  • 小野政美(ono masami・愛知県名古屋市・教員:憲法と教育を守る愛知の会)
  • 小林 初惠 (全国被爆者青年同盟・広島市)
  • 小林久公(「過去と現在を考えるネットワーク北海道」代表)
  • 松永義郎(佐賀県鳥栖市、61歳)
  • 松元泰雄(神奈川県)
  • 松谷務(愛知県)
  • 新城美紀( 兵庫県)
  • 森川 静子(埼玉県・キリスト者)
  • 森本孝子(平和憲法を守る荒川の会共同代表・東京都荒川区在住)
  • 進藤悦子(北九州がっこうユニオン・うい)
  • 仁藤万友美 (愛知県)     
  • 水谷明子(東京都)
  • 杉本 泰郎 (すぎもと やすお・岡山市)
  • 瀬川千恵(神奈川県川崎市・脱原発かわさき市民)
  • 星野 岳彦(東京都・カトリック豊島教会)
  • 清重伸之(きよしげのぶゆき・東京都東村山市)
  • 清水信義(しみずのぶよし・宮城県)
  • 青 英権
  • 青木章 (京都市)
  • 斉藤一美(東京都・「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール)
  • 石川康子(多摩女性学研究会)
  • 川原一恵 (山口県宇部市)
  • 川原淑恵 (山口県宇部市)
  • 浅田 明(兵庫県)
  • 増田都子(東京都学校ユニオン委員長)
  • 大橋真司(静岡県)
  • 大橋正明(恵泉女学園大学教授)
  • 沢村和世(山口県下関市)
  • 池田恵理子(イケダ エリコ・東京都)
  • 中原道子(Nakahara Michiko・東京都杉並区)
  • 中西 綾子(横浜市)
  • 中村 薫(大阪府)
  • 中村紀子(名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会 共同代表)
  • 中田光信(京都府)
  • 中野 紘一 (北九州市)
  • 天崎秀雄 (山口県宇部市)
  • 田場祥子(東京都・『VAWW RAC=VAWW−NETジャパンの後続団体』)
  • 田場洋和(東京都・所属団体:練馬・文化の会)
  • 田中信幸(熊本市)
  • 田島 隆(ひとミュージアム上野誠版画)
  • 東本高志(大分県)
  • 筒井修 (福岡地区合同労働組合代表執行委員)
  • 藤井克彦(ふじい かつひこ・愛知県名古屋市)
  • 藤岡 惇(立命館大学経済学部教授)
  • 藤堂均(北九州がっこうユニオン・うい)
  • 藤野 龍一(千葉県)
  • 内岡貞雄(長生炭鉱の”水非常”を歴史に刻む会会員・北九州市)
  • 白水 弘美(福岡県北九州市)
  • 八木隆次(平和フォーラム)
  • 樋口淳子(神奈川県横浜市)
  • 尾澤邦子(東京都)
  • 彦坂 諦(ひこさか たい・千葉県・作家)
  • 冨田 孝正  名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会・愛知県)
  • 冨田杏二
  • 朴裕子(愛知県名古屋市)
  • 堀内隆治(下関市菊川町)
  • 本河知明(福岡県・みどり福岡)
  • 麻生きみえ(福岡県)
  • 民族問題研究所 東京支会
  • 牟田口カオル(北九州市)
  • 木瀬慶子 (9条連事務局)
  • 木村玉祚(福岡県)
  • 木村厚子(岐阜県安八郡)
  • 木野村間一郎
  • 野口千恵子(日本軍慰安婦問題解決のために行動する会・北九州代表)
  • 野村修身(東京都・NOMURA; Osami, Dr. Eng
  • 野田峯雄(ジャーナリスト・東京都立川市)
  • 矢野創(愛知県平和委員会)
  • 友延博子(北九州がっこうユニオン・うい)
  • 林 尚志(山口県下関市)
  • 林伸子(農民新聞・千葉県千葉市)
  • 國米リリ子(こくまい・りりこ、神奈川県川崎市)
  • 槌樹(チョウミス・東京都)
  • 瞠藕稔(たかざね・やすのり、長崎県、長崎大学名誉教授)
  • 沖縄ー韓国民衆連帯
  • 日韓民衆連帯全国ネットワーク
  • ストーンウオーク・コリア
  • 韓国原爆二世の会普天間基地爆音訴訟団
  • 東北アジア情報センター (広島市佐伯区五日市) 
  • 写真の会・パトローネ
  • NO!AWACSの会浜松
  • 憲法9条ー世界へ未来へ 連絡会(略称:9条連)
  • 福岡地区合同労働組合
  • NPO法人ハヌルハウス (代表理事 映画監督・前田憲二)
  • 愛知県平和委員会(名古屋市東区)
  • 名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会
  • つぶせ!有事法制・川崎市民の会
  • 北九州がっこうユニオン・うい
  • 怒髪天を衝く会 
  • VAWW RAC(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター)   
  • 時を見つめる会(神奈川県)
  • 10フィート映画を上映する下関市民の会(代表 赤司暸雄)
  • フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)
  • 沖縄恨の碑の会
  • 沖縄ナビーの会


| 告知 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0)
2012 陜川(ハプチョン)非核・平和大会
核のない世界をつくるために、2012年3月23・24日、世界のヒバクシャと共に
陜川へ集まろう!
2012 陜川(ハプチョン)非核・平和大会
 Hapcheon Anti-Nuclear & Peace Festival 2012

世界のヒバクシャの痛みに共感し、核と放射線の危険から解放された平和な世界をつくるために、「韓国の広島」陜川(慶尚道)で、「2012 陜川非核・平和大会」を開催します。この大会は、在韓被爆者と子孫の人権と福祉改善、社会的認識向上のために活動している団体「陜川平和の家」が中心となって行うものです。核兵器使用と実験、原発事故と放射線汚染物質漏れによるヒバクの深刻さを世界に知らせるために、韓国人ヒバクシャを含め、日本の福島・広島・長崎、ビキニ島、チェルノブイリなどのヒバクシャが証言します。

また非核・平和を訴える国内外の文化人・アーティストの講演、核被害現場レポート映像&トークショーが行われるほか、写真・映像展、インスタレーションなど、インパクトのある現場パフォーマンスにも期待してください。ユンドヒョン・バンドによる「平和コンサート」も非核・平和の熱気を大いに盛り上げるでしょう。

非核・平和を願う世界のすべての方々に参加を呼びかけます。

日時: 2012年3月23日(金)〜24日(土)
場所: 陜川郡総合社会福祉館、陜川郡民体育館など
主催: 陜川平和の家(在韓ヒバクシャ2・3世のホーム)
主管: 2012陜川非核・平和大会推進委員会
     電話 +82-2-744-8007 Fax +82-2-3444-8089
      http://cafe.daum.net/hapcheonANPF
      メール hapcheonhouse@gmail.com
後援: 慶尚南道、陜川郡、大韓仏教曹渓宗宗務院、海印寺など
協力: 韓国原爆2世患友会、韓国原爆被害者協会陜川支部など原爆被害者関連団体、脱核エネルギー教授会、(社団法人)ウイズ・アジア、エネルギー正義行動、核のない社会のための共同行動、平和博物館、民族問題研究所、韓国教会女性連合会など

<行事内容>
□3月23日(金) 陜川郡総合社会福祉館3階大講堂
午前:開会式、基調講演
午後:核現場レポート映像&トークショー「核と私、そして地球の未来は…」

司会 : キム・イクジュン(慶州環境運動連合常任議長・東国大医科大学教授)
映像 : キム・ファンテ(韓国, 独立ドキュメンタリー監督)、鎌倉英也(日本NHK、PD)

ゲスト:
 高橋哲哉(東京大学教授, 福島生まれ)
 徐京植(東京経済大学教授、NHK「フクシマを歩いて」企画・出演)
 ハン・ホング(聖公会大教授、脱核エネルギー教授の会共同執行委員長)
 ホン・ソンダム(画家)
 チュ・ヨンス(翰林大学教授、人道主義実践医者協議会共同代表)
 ホ・クァンム(強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者支援委員会)

□ 3月24日(土)陜川郡総合社会福祉館3階大講堂
午前:被爆者との出会いと現地フィールドワーク
 陜川平和の家、陜川郡内被爆者の家庭や村訪問、被爆者との共感・交流、平和活動家とヒバクシャ、市民が陜川を歩く
午後 : 世界のヒバクシャ証言集会 「ヒバク、絶望から希望の共鳴へ!!
 1) 広島、長崎、台湾、韓国人ヒバクシャ1世・2世、ビキニ、チェルノブイリ、 福島からの証言
 2)質疑応答
 3)「陜川非核・平和宣言」採択
 4)閉会式

夜 : 「核のない世界・平和コンサート」陜川郡民体育館
○出演: ユンドヒョン・バンド、ホン・スンクァン、原爆被害者1,2,3世合唱団

□写真展示及び設置美術・パフォーマンス(3月23日〜24日)
 1) 非核・平和写真展
 参加作家 : チョン・ジュハ(百済芸術大学)、JuergenNefzger(ドイツ・クレルモント芸術大学)、児玉房子、イ・ジェガプ
 2) 非核パフォーマンス・インスタレーション(陜川総合社会福祉館)
 参加作家 : チエ・ビョンス、ホン・ソンダムなど

□未来世代のための青少年平和キャンプ「核のない世界・平和作り」
日時: 2012. 3. 22(木) 〜25(日) 場所: 陜川サムサン渓谷自然学校


○参加申請、お問い合わせ、ボランティアの申し込みは事務局へお願いいたします。
電話+82-2-744-8007、ファックス+82-2-3444-8089、hapcheonhouse@gmail.com

○参加方法: 参加申請書(添付ファイル)をダウンロードし、作成し、事務局へ送ってください。追後個別ご連絡致します。


-- 2012陜川非核・平和大会推進委員会
(110-350) Room 705, World-Officetel, 65-1, Unni-dong, Jongno-gu, Seoul. Korea
電話 +82-2-744-8007, Fax +82-2-3444-8089
http://cafe.daum.net/hapcheonANPF
メール:hapcheonhouse@gmail.com
| 韓国からのたより | 06:33 | comments(0) | trackbacks(0)
李在甲写真展「傷痕に咲く野花」―強制連行・徴用朝鮮人の痕跡を中心に―
李在甲(イ・ジェカプ)先生の写真展が下記の要領で開かれるとのことです。

「日本を歩く」と言う本を8月末に出版され、その後一度大邱で写真展をして、今回はソウルでの展示会になります。あるいはその期間にソウルに行く機会がありましたらと思いお知らせいたします。なお添付した文は、展示序文とあります。


李在甲 写真展

「傷痕に咲く野花」―強制連行・徴用朝鮮人の痕跡を中心に―

場所:ソウル・インサ洞 平和美術館 (曹渓寺<チョゲサ>の道路の反対側)

期間:2012年1月11日~2月10日



1. 展示に当たって

상처 위로 핀 풀꽃(傷痕野花)

(強制連行・徴用朝鮮人の痕跡を中心にして)

 1996年2月から始めた韓国内の日本文化(1910年〜1945年の間に建てられた近代建築物に焦点を当てた)と関連するプロジェクトの写真の一環として、始めた今回の日本の各地(福岡、大阪、長崎、広島、沖縄に関する作業は、強制連行・徴用された朝鮮人の痕跡を記憶し、記録するため2002年2月から準備を始めた作業であった。

 

 1945年8月6日、米国は広島に原爆を投下した9日後の8月15日午前12時を期して日本の天皇は降伏宣言を放送することになった。この日、全国の刑務所から2万余名の独立運動に携わった者達が釈放された。大韓民国の刑務所だけではなく、全国の大小の軍部隊及び工事中であった全ての施設が停止され、解放の喜びを迎えた。

 

歴史は道の上にある。

 日本の本土も例外ではなく、全国土に建設中であった戦争準備のための全ての建築物、炭坑採掘及び軍需物資を保管するための洞窟等の掘削工事が中断された。それから63年が過ぎた2008年1月一次の踏査として、日本各地に散在していたるそれらの現場に出かけた。戦争が終わってから長い歳月が過ぎたにもかかわらず、依然としてそれらの場所では、戦争準備をするために奔走していた当時の物音が聞こえる様であった。石炭採掘のため植民地の朝鮮人達が強制連行され、無慈悲な程抑圧されていた福岡県の筑穂地域は、私にとって一生忘れることのできない残酷で、切ない記憶である。

 

軍需物資を生産するために、山全体を要塞化した広島の呉地域の洞窟は、今でも戦争の万般の準備がされているようで鳥肌が立つような恐怖感を感じた場所の一つだ。数多くの朝鮮人達が強制連行・徴用され、アジア各地はもちろんのこと、日本の最北端の北海道まで組織的に投入されたのだ。

 

沖縄の読谷村の「恨の碑」がある場所では、ここまで連れて来られたことの驚きと怒りを越えて惨憺たる思いに駆られ、当時の朝鮮人達の心情が伝わって来るようであった。私の本籍は「慶尚北道尚州(サンジュ)市洛東面808番地」である。歴史をありのまま残し、過去の誤りを謝罪するという思いを抱いた良心的な日本人の献身的努力で作られた「恨の碑」の碑文の下に、犠牲者の本籍が書かれている石があったが、その石に私の本籍と同じ住所を見出した。

 

 小学校時代、祖父から村の人が日本に連れて行かれたという話を聞いたことがあった。その頃、連れて行かれた場所が日本のどの地域であったのか、それが何を意味するのかを理解も出来なかった。薬酒を一杯やりながら鼻歌を歌いながら、訳もよく分らない昔話をぼそぼそ話していたことだけを記憶している。今となっては祖父が亡くなったのは(1988年)大分前のことだ。記憶さえもあまりはっきりもせず、私にとっては特に意味もなかった当時の話が、沖縄の読谷村の「恨の碑」があるこの場所に来て、初めてその内幕を知ることになった。

 

 その瞬間、祖父の顔が浮かび、涙が出てきた。声なく流れる涙の意味は何なのだろうか。韓国からこの作業のために船に乗って出発する時、少し漠然とした、しかも訳の分らない恐れのようなもの(1人での旅でもあったので)があったのも事実だ。でもその瞬間、今からは取りかかる作業は、単に漠然とやりたいからというものではなく、時間がこれ以上過ぎ去る前に、私がしなくてはならない作業であるという思いを抱いた。「歴史は道の上にある」、そして私達の民族の歴史が、正に私と私の家族の歴史でもあると確認した瞬間でもある。

 

 ドキュメンタリー写真は時代、社会、文化、歴史そして個人的な性向が適切に包含した、意図的なエッセイであり、言語とイメージ、そして人間の行動を通じて、その意味を効果的に伝達しようとする表現様式である。それ故、ありのままの現実と不平等な社会的条件に自分の身を任せて娯楽性の強い、現実逃避的な娯楽映像とは反対の立場で、観客をして自分の生と私達の姿を顧みさせる伝達媒体と言うことが出来る。

 

 単純に事件に対する記録や、証明としての役割ではなく、人間の生、さらに言えば人文主義的な立場から接近出来る特性を備え、現代文明や社気的現象等に対して個人的あるいは公益の目的でお互いに連関性がある対象を扱うことを意味している。

 

 解放後、近代化を経て韓国文化・歴史は周辺国家との相互関連性と各国の利益に従って多様な観点から変化、発展してきた。特に日本と韓国の関係は周辺国家との関連性以上の意味を持ち現在まで至っていて、対立と葛藤の関係を越え、平和と未来のための発展を模索中であると言える。歴史というのは一人の人間、一つの国家にとって、現在と同時に共存するものであり、個人の所有物ではない。写真家が過ぎ去った過去の痕跡を記録(記憶)として残すことは、社会的現象の過程であり、この時個人は社会的な存在として参加するので、公共的な意味を個人的に提示することになる。

 

 この作業は未だ進行中である。いたずらに結論を出す写真作業ではなく、その過程を通じて歴史を読み、日本に残っている朝鮮人の強制連行に関する話をしようとするものだ。日本は4つの島(北海道、本州、九州、四国)と、8つの地域(北海道、関西、東北、中国、関東、中部、四国そして九州)に別れているが、現在まで5つの地域を踏査した。最北端の北海道まで作業をしようとすれば未だ行く道は遠い。

 

 韓国の大地、その傷を受けなかった所はどこにもない。日本も例外ではない。歩む道の上で見つけた朝鮮の苦痛に満ちた歴史が私に語りかける。敗戦と同時に止まってしまった誰もいない空間には、時に小さな声がささやき、時に痛みに満ちた歴史を私に語りかけてくる。どうしても通り過ぎることのできない彼らの日常は、義務だけがあり、権利のない彼らだけの闘いとして戦争が終わった今も進行中である。

 

 李在甲(イ・ジェカプ)

| 韓国からのたより | 06:26 | comments(0) | trackbacks(0)
アンドレアさん記事
 9.11から10年の節目ということで、新聞各社が特集を組んでいますが、その中にアンドレアさんについての記事がありました。

2011年8月29日付西日本新聞の記事です。

アンドレアさん西日本新聞記事110829
| 情報 | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0)
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