STONEWALK KOREA 2007 BLOG

世界中の戦争で苦しめられた人々を悼むための碑石を、特別制の台車にのせて、朝鮮半島を縦断して、人力で牽きながら歩く「ストーンウォークコリア」の告知のためのサイト
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訪韓報告(8/5〜8/18)
(管理者注:緒方貴穂さんがストーンウォークコリア・メーリングリストに投稿された文章を、ご本人の承諾を得て転載します。)

SWKの皆様

緒方です。
鬼怒川流域では甚大な被害が生じ、東京では今朝地震があったようです。皆様大丈夫でしょうか。
昨日はアンドレアさんのことを思い出された方も少なくないと思います。
Stonewalk Japanから10年、「被爆70年」の夏が過ぎました。
去る9月8日、日本の最高裁が在外被爆者への医療費支給を認める判決を出しました。同日、韓国国会前では被爆者の方々が特別法制定を求めて集会を開かれ、姜濟淑(カン・ジェスク)さんたちも参加されていたそうです。在朝被爆者や2世の方も含め、すべての被爆者の方々が十分な医療を受けられるよう願います。

さて、以前少し書きましたが、8/5〜8/18にかけて韓国を訪れました。
遅くなりましたが、以下はその報告です。

初日は釜山から陜川に行き、非核平和大会の野外公演(8/5)や原爆犠牲者追慕祭(8/6)に参加しました。SWKでお世話になった方々との再会が嬉しく、石碑と台車も懐かしかったです。2年後の2017年はSWK10周年にあたり、みんなで集まりたいという話も出ました。また、SWKの子ども向けの本について、姜濟淑さん、挿絵を担当されるオ・チグンさん、出版社の方と4人で話し合う機会もありました。出版は9月下旬頃になりそうです。

参考:
http://www.asahi.com/articles/ASH8B5QS4H8BPTIL021.html
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/21626.html

上記ウェブサイトの記事には、沈鎮泰(シム・ジンテ)さんや韓正淳(ハン・ジョンスン)さんたちのことも書かれています。なお、2番目の記事に「2002年に亡くなったキム・ヒョンニュル氏」と書かれていますが、正確には「2005年に亡くなったキム・ヒョンニュル氏」です。

8/7は河東(ハドン)に行き、故チョン・ソウンさん(日本軍「慰安婦」被害者)の追慕碑やお茶の博物館を訪れました(SWKではお茶の博物館の方々にもお世話になりました)。チョン・ソウンさんが住んでおられた集落は家々の塀に絵が描かれるなど、路地に沿って芸術作品が展示され、「アジア平和ロード」と名付けられていました。

8/8以降は主にソウルに滞在しました。ソウルでは街の至る所に太極旗が掲げられ、「光復70年」を祝賀する雰囲気に包まれていました。ビルに張られた巨大な太極旗や沿道に掲げられた無数の太極旗といった光景は、後日訪れた天安や広州でも見られました。新聞報道も、日本軍「慰安婦」問題や安倍談話、靖国参拝等、韓日関係に関するものが目立ちました。

国を挙げての祝賀ムードとは対照的に、献花し黙祷を捧げる場もありました。8/12にソウルの光化門広場を訪れたのですが、セウォル号惨事のご遺族・ご家族によるテントが張られ、ご遺影と祭壇などが設置されていました。また上述の原爆犠牲者追慕祭や、8/14に参列した日本軍「慰安婦」追慕式(於:天安市「望郷の丘」)でも、献花・黙祷の機会はありました。

8/9、ソウルのギャラリーspace99での原爆展も、黙祷とともに始まりました。会場には、2005年に急逝された金亨律(キム・ヒョンニュル)さんの生涯を振り返る展示もありました。亨律さんが実現をめざした「韓国原爆被害者とその子孫のための特別法」の制定を求めて、姜濟淑さんたちは地道な活動を続けており、「生は続かねばらない」という亨律さんの言葉が思い出されました。

また、同会場では『ヒロシマ・ピョンヤン』(監督:伊藤孝司、2009年制作)の上映会もあり、8/13には伊藤孝司さんによる講演会も開かれました。伊藤さんは今年6月の訪朝取材に基づき、「在朝被爆者」のことを中心に話されました。心に残った言葉のいくつかを紹介します。
  • 在朝被爆者は日本政府による支援を一切受けていない。
  • 日本政府による経済制裁以後、民間交流もほとんど途絶えている。
  • 健在な被爆者は極端に減っていると推測される。
  • 性奴隷(「慰安婦」)被害者についても、話を聞ける状態の被害者はいないと思われる。
  • 「北朝鮮」に対する過去清算が終わっていないことは日本政府も認めており、昨年5月の「ストックホルム合意」を進める必要がある。

特に印象に残ったのは、「私たちが死ぬのを待っているような日本政府には、もう何も期待しない」という在朝被爆者の声です。伊藤さんはこれまでに33回も訪朝されており、「棄てられた被爆者」と題する講演は大変貴重な内容でした。(『週刊金曜日』2015/8/7号、8/21号に伊藤さんの訪朝取材記事が掲載されています。ぜひご一読ください。)

参考:伊藤孝司さんのウェブサイト  http://www.jca.apc.org/~earth/

数日前にソウル市内の病院で再会した日本軍「慰安婦」被害者の方も、会話が難しい状態でした。鼻には経管栄養のためのチューブが付けられ、両手首にはベッドに固定するための紐が巻かれていました。以前は日本語も話されていたのですが、今は母語での会話も難しいご様子でした。時折、空腹や身体の痒みを訴えられ、私はお世話に来られていたご家族の方と一緒に背中などをさすって差し上げることくらいしかできませんでした。「ありがと(う)」という言葉が、唯一私が聞き取ることのできた日本語でした。

8/15に訪れたナヌムの家では、光復70年行事の後、李玉善(イ・オクソン)さん(日本軍「慰安婦」被害者)からお話を伺う機会がありました。以下は通訳を介して伺った李玉善さんのお話の一部です。
「光復70周年になっても、日本はまだ私たちを無視しています。“光復”といっても私たちにとってはまだ本当の“光復”ではありません。1945年、他の人は“解放”されたと喜んで故郷に帰ったけれども、私たちは“解放”ではなかった。まだ戦争だった。日本はまだ私たちのことを無視して、歴史を歪曲している。」

8/12にソウル・日本大使館前の水曜集会で焼身自殺を図られた方(男性)のことも、現場にいた者として忘れられません。日本に戻った後も回復を祈りながら続報を確認していたのですが、8/21にお亡くなりになりました。今も胸が痛みます。

参考:http://japanese.joins.com/article/467/204467.html
  (この記事は8/14付のため、「危篤」となっています。)

久しぶりの訪韓は、懐かしい再会とともに重い課題を再認識させるものでもありました。「光復70周年」は祝賀一色ではないということ、真の「解放」や「解決」を求める人たち、あるいは「棄てられた」人たちが朝鮮半島にいるということ、そのことを強く感じた「70周年」でした。

不十分ですが、長くなるのでここまでにします。

緒方貴穂
追伸:写真を3枚添付します。SWKの石碑と台車(8/5撮影)、原爆犠牲者追慕祭(8/6撮影)。

SWKの石碑(8/5撮影) SWKの台車(8/5撮影) 原爆犠牲者追慕祭(8/6撮影)
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