進藤です
昨日からの報告です。
昨日の5月30日はチョナンからピョンテクへ移動、参加者は10
名、夜に横浜からピースボートのメンバーが合流して11名とな
りました。女性はおっちょさんがいましたのでこれでやっと二
人。午前中は現地の応援がいて順調に進みましたが、人の減っ
た午後は暑い日差しの中をうんせうんせと汗をたくさんかきな
がら運びました。坂道を登るスピードは今までの二分の一?と
思うくらい重かったです。
そして夜には、またまたアヒムナのこどもたちと再会しました
!今日とあわせて二日間、ここアヒムナ学校にお世話になって
います。
歓迎会ではこどもたちはなんと僕らのために手作りの料理を用
意してくれてました。そして、ひとりひとりが各自にペンダン
トまでつくって、それを僕らの首にひとりずつかけてくれまし
た。一生懸命勉強した日本語のあいさつを添えて。「私はこれ
をつくったよ!」という子供たちの料理を食べながら、ストー
ンウォークの写真をスライドショーで見て、最後は「さんぽ」
(となりのトトロ)を日本語で、しかもSTKバージョンの替え
歌まで披露、とっても楽しい歓迎会でした。
今日、31日はピョンテクでのフィールドワーク。アヒムナの子
どもたちとともに米軍基地を見て回りました。巨大な滑走路を
もつ空軍基地のあるここピョンテクでも沖縄と同じような問題
を抱えていました。ほとんど強制的に村を退去させられ、作物
が豊かに育つ穀倉地帯の田畑が基地のために接収されています
。不平等な地位協定も、騒音公害や事故の危険性も沖縄とほと
んど同じです。ただ違うのは退去時の補償が日本と比べて格段
に少ないこと。昼食時には退去させられた農民のみなさんと交
流をもちましたが、年配の方の多くは農業を続けられる状態に
なく、新しい集合住宅を政府から借りて住んではいるが、二年
後には住宅の期限が切れ、その後の見通しは立っていないそう
です。生活の糧を奪われなおかつその後の生活の目処さえ立た
ない、のしかかる米軍基地の基地の重さを実感しました。また
複数配備されたパトリオットや中国までが圏内に入るレーダー
を見学し、東アジアの軍拡競争がここピョンテクを中心に動い
ているとの説明を受け、平和という意味合いにおいても深く考
えさせられる地でした。
途中で橋本さん、シマ子さん、石川さん、田代さんが合流、田
代さんが一日で帰られましたが、31日時点での参加者は14人に
増えました。近日中にアメリカからドットさんとアンドレアさ
んも合流するとのことですから、まただんだんとにぎやかにな
りそうです。
まだ風邪がはやっていて、先生に針を打ってもらったり、漢方
薬を作って飲んだりしてます。心配していた台車のブレーキの
調子も、曲がってしまった先頭の連結部分のボルトも今のとこ
ろ順調です。ただ、連結部分の一輪のタイヤの消耗が早くて、
交換を3回しました。スペアがあと少しになりましたが、韓国
の人たちが同じ型のタイヤを探してきてくれて
なんとかなりそうです。しかもタイヤ代もカンパしていただき
ました! 連日の韓国側のバックアップに感謝の気持ちでいっ
ぱいです。
写真もいくつかアップしました。日付がいつかわかりませんが
ご勘弁を。今週一週間のをいくつかピックアップしました。