朝鮮半島の春を東アジアの春、そして全世界の春に!
日韓「ストーンウォーク・コリア」ネットワーク
本年4月27日、朝鮮半島南北の首脳が史上三度目になる出会いをして、固い握手をした瞬間、新しい歴史が再び書き始められた。大韓民国(以下韓国と記す)ムンジェイン(文在寅)大統領と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮と記す)キムジョンウン(金正恩)国務委員会委員長があたかも子どものように互いに手をつなぎ板門店に造られた僅か5cmの高さの軍事境界線を天真爛漫に行き来した時、全世界が嘆声を上げ、半世紀以上にわたる冷戦体制の枠の下で呻吟してきた朝鮮半島は大きな背伸びをした。南北両政府は歴史的な「板門店宣言」を通じて、二つの国が二つの国の意志により、停戦体制を終息させ平和体制を定着させていく事を全世界に明らかにした。
昨年4月から11月末まで途絶えることなく続いた北朝鮮の核・ミサイル実験とそれに対する国連の対北朝鮮制裁決議案、米国の北朝鮮テロ支援国指定、更に米国の対北朝鮮武力演習等を考える時、わずか4カ月の間に朝鮮半島から戦争の危機が完全になくなった事は実に驚くべき転換だった。無論、この結果は空から突然降って来たものではない。近い所で話せば、2017年末から北朝鮮の「核兵器の完成」発表を「協議の要請」の信号と読み解き、折しも開催されることになっていたピョンチャン冬季オリンピックを「一時的な平和体制」に活用したムンジェイン政権の粘り強い努力があった。ムンジェイン政権は、昨年「新ベルリン宣言(2017.7.6)」を発表し、韓国は北朝鮮の崩壊、吸収統一、及び人為的な統一を推進しないということを明確にした。そして、冬季オリンピック期間中に北朝鮮が挑発的な行為をしないという条件で韓米合同軍事訓練を延期するという、北朝鮮の「一時的同時中断」の要求を先取りして受け入れた。北朝鮮もこれに応え最大規模の選手団と訪問団を冬季オリンピックに送り、韓国に南北の首脳会談を提案した。その後南北首脳会談が開かれた4月27日まで、南北政府と米国、中国、ロシア等との間で行われていた水面下の熾烈な外交戦に関してはよく知られている事である。ムンジェイン政権は停戦を導き、対北朝鮮制裁の主要当事者である米国を米朝首脳会談と米朝国交正常化のテーブルに着かせた。北朝鮮は北朝鮮なりに「核兵器開発と経済発展という並進路線」の勝利、及び核保有国の代わりに「戦略国家」として生まれ変わる意志を宣言した。南北首脳会談直前まで続けて発表された朝鮮労働党中央委員会の決定書等は、北朝鮮が △核実験を中断することで「核実験全面中止のための国際的な志向と努力」に参加すること △「核の脅威や核の挑発」がない限り核兵器使用を絶対的にしないこと △どのような場合にも「核兵器と核技術」を他国に移転することなく「世界的な核軍縮過程」に参加すること △改革・開放路線を採択し、核開発の代わりに「社会主義経済建設に全力を集中」すること等を鮮明に宣言している。又長い視点で見れば、今回の4.27南北首脳会談は、この間韓国の民主政権が民主主義の障害にならざるを得なかった分断体制を終え、南北の「連邦体制」を拓くために血の滲むような努力を積み重ね、実を結んだものでもある。ノテウ(盧泰愚)政権時の公式国家統一方案「韓民族共同体統一方案」では「(完全な統一以前の)南北連合段階」という目標が示され、2000年6月の第一回南北首脳会談(6.15南北共同宣言)では、南側の連合制と北側の連邦制の共通点が確認された。そして、2007年の第二回南北首脳会談(10.4首脳宣言)では、統一問題の「自主的解決」、緊張緩和と信頼関係の構築、「停戦体制を終息させ、恒久的な平和体制構築」のための終戦宣言の推進、南北間の経済、社会、文化の交流・協力等が明示された。このような過程を経て来たので、今回の4.27「板門店宣言」では、民族の自主性の原則と「事実上の国家連合段階」と見ても良い程に南北の交流・協力の定例化と制度化の条項が具体化されている。「板門店宣言」の内容が、今後の南北の具体的な約束履行を通じて段階的に明らかになるであろう「朝鮮半島の平和プロセス」の規約となる事は間違いない。
この「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」は全部で三つの項目で構成されており、各項目には三つから六つの付属的項目がある。第1項は「同じ民族」と「自主統一」の基盤の上に南北関係を画期的に改善、発展させて行くことが明記されている。特に1項の?にはケソン(開城)に「南北共同連絡事務所」を設置する内容が含まれているが、南北国家連合のガバナンスを制度化するのに最も重要な役割になるであろうと予想される。1項の?では2007年の10.4共同宣言の延長となる「民族経済の均衡的な発展と共同繁栄」に関連する付属条項として、特に南北縦断鉄道の東海線及び京義線の連結を提示している。この間のムンジェイン政権の「新南方政策」と「新北方政策」の基調を考えると、朝鮮半島の平和体制の経済的土台を準備する事で、このような経済と平和の好循環の誘導は、朝鮮半島のみならず朝鮮半島を中心とした東アジア全体地域との経済ネットワークを対象にしていると見ることが出来る。合意文第2項は軍事的な信頼関係構築のプロセスに関する部分で、相互の敵対行為の中断と非武装地帯の平和地帯化、西海北方限界線一帯の平和的水域化等の主要な内容が含まれている。合意文第3項では「南と北は、朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制構築のため、積極的に協力していく」と闡明しており、これにより「板門店宣言」がこれまでの合意文には見られなかった新しい歴史的な段階に入ったことを示していると言える。特に第3項の?は「段階的軍縮」の問題、?は2018年内に停戦協定を平和協定に転換する問題を含んでいる。クライマックスとなる合意文第3項の?は「完全な(complete)非核化」と「核のない朝鮮半島(a nuclear-free Korean Peninsula)」を実現するという共同目標を確認している。
たとえ僅か2、3行で多少宣言的に叙述されたものであっても、この「完全な非核化」と「核のない朝鮮半島」の条項は、「朝鮮半島の非核地帯化」と直結している重大な争点を内包している。特に北朝鮮は、この間要求してきた体制保証は単に「平和協定という紙の束」(ポンペオ米国務長官の米国上院聴聞会での発言)ではなく、朝鮮半島次元での緊張緩和と非核化を通じてのみ可能だと考えたのだろう。再度述べるが、韓国政府がこれまでの韓米同盟構造をそのまま存続させた状態で、朝鮮半島の平和体制を達成する道はあり得ない。「板門店宣言」は、南北が「それぞれ自らの責任と役割を果たすこと」、並びに「国際社会の支持と協力を得るため、積極的に努力すること」を明らかにしている。北朝鮮が核実験中断とプンゲリ(豊渓里)核実験場の公開的な閉鎖を約束する等「主動的な措置」をとることで、韓国、そして韓国と軍事的に緊密な関係がある米国も又相応の措置で「板門店宣言」に提示されている約束を履行すべき義務がある。
最近の米朝接触を通じて、北朝鮮は非核化の対価として米国に △米国の核戦略資産を韓国から撤収 △韓米連合訓練時に核戦略資産の展開中止 △在来式兵器及び核兵器で攻撃しないという保障 △停戦協定を平和協定に転換 △米朝国交正常化等を提示した。北朝鮮は在韓米軍の撤収は要求していないが、在韓米軍と韓米同盟の「性格」が変わらなければならない事を明らかにした。やはり、韓国の専門家たちも、在韓米軍の存在が激動期の朝鮮半島と東アジア地域の軍事的に不安定になりかねない秩序を安定的に維持する役割を果たしうる点には同意しながらも、平和協定が締結されれば朝鮮戦争後の韓国の代理の役割をして来た国連軍司令部(UNC)体制は解体されなければならないと見ている。1953年7月27日締結された停戦協定文の第4条によれば、事実上は米国統合司令部である国連軍司令部総司令官と、朝鮮人民軍最高司令官及び中国人民志願軍司令官の双方は、協定調印・効力発生後3か月以内にそれぞれの代表による政治会議を開催して、「全ての外国軍隊の朝鮮からの撤退、朝鮮問題の平和的解決その他の諸問題を交渉により解決する」ことを双方の関係政府に勧告するようになっていた。今後の政治的な協議がどのような帰結に至るにしろ、私達はこの時点から又始めざるを得ない。
朝鮮半島の非核化を東アジアと世界の非核化に
2007年と2008年、済州島を始めとする韓国各地と日本の沖縄で「ストーンウォーク」という名前で反戦・平和のための日韓市民社会の踏査・教育・交流プログラムを実施した日韓「ストーンウォーク・コリア」ネットワークは、今回の4.27南北首脳会談と「板門店宣言」を熱烈に支持すると共に、「朝鮮半島の非核化」が単に朝鮮半島だけの非核化ではなく東アジア、更には全世界の非核化となることを切に願っている。私達は特に米国の態度の変化を促す。北朝鮮に対して厳格な非核化を要求しながらも、米国は実際には核不拡散条約(NPT)に関してダブル・スタンダードを適用し、昨年の国連の核兵器禁止条約(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)に参加もしていない。否、むしろイスラエルのような国の核武装を庇護してきた。このイスラエルは5月、米国がイランの核協定(包括的な共同作業計画JCPOA:20015年7月米国、英国、フランス、ドイツ、ロシア、中国の6カ国とイランの間に締結された協定で、イランは核開発を放棄して、6カ国はイランの経済制裁を解除する内容)を脱退するや否や、シリア国内にあるイランの軍事施設に対して報復攻撃をした。
このような態度・行動は即刻中止されなければならない。米国は「停戦体制の終息」だけでなく「朝鮮半島非核化」に第一次的な責任がある当事者である。特に韓米同盟の「核の傘」機能と在韓米軍の核戦略資産の展開訓練という両面は、当然の事として即刻改廃されるべきだ。また、米国の「グローバル防衛態勢(global defense posture)」の目的に合わせて、益々自衛隊を米軍の作戦と連携して事実上地球のどこにでも迅速に出動できる軍隊に変貌させる「平和安全法制」を始めとする日米同盟の各種法制も、即刻改廃されるべきだ。去る4月28日済州島海軍基地の反対運動が4000日を迎えたカンジョン村の住民と活動家達は問いかけている、南北がこれ以上お互いに敵対しないなら、この地に済州海軍基地が存在する理由は何か、「核のない朝鮮半島」に米軍の原子力航空母艦、原子力潜水艦が出入りする済州海軍基地が何故あるのかと。彼らは済州海軍基地が「米国による対中国への前哨基地になりつつあり、THAAD配置のソソン里と関連しており、済州のソンサン第二空港とも関係がある」と信じている。同じように、在日米軍施設の約70%が本島の15%の土地に集中している沖縄の住民と活動家達も、北朝鮮の核・ミサイルの脅威が無ければ、「普天間飛行場の辺野古移設だけが唯一の解決策」という日米間の合意事項は修正されるべきではないかと信じている。あらゆる反対にもかかわらず、日本政府は2016年12月の最高裁判所での勝訴を受け、辺野古の海上埋め立て工事を再開した。今年3月、那覇地裁が沖縄県の工事中断仮処分申請を却下したので、日本政府は基礎工事の速度を益々上げている。この辺野古基地は今後米海兵隊が日本の自衛隊の積極的な支援の下に、東アジア全域に陸海空軍を頻繁に出入りさせる全天候作戦を展開する拠点になると予測される。
これに対して日韓「ストーンウォーク・コリア」ネットワークは、再度「核のない朝鮮半島」を目標に掲げた「4.27板門店宣言」に惜しみない支持を送ると共に、済州と沖縄で米軍の基地・戦争反対のため献身的に闘っている皆様に限りない連帯の意志を表し、次のように表明する。
2018年7月14日
「4.27朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」を支持する
日韓「ストーンウォーク・コリア」有志
[注] 朝鮮民主主義人民共和国の略称としては、「北朝鮮」でなく「朝鮮」という言葉を用いる方が適切ですが、文意が分かりづらくなるところがあるため、「北朝鮮」という言葉を用いています。
[参考] 板門店宣言(2018年4月27日)
「韓半島の平和と繁栄、統一に向けた板門店宣言」(韓国政府・報道資料)
「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」(「朝鮮新報」)
■酒迎 天信 様より
SWK十周年に当り、日本の皆様、韓国の皆様に心から連帯の挨拶を送ります。
八月六日はどうしても広島へ、九日は長崎へと決っていますので、ハプチョンで皆様と交流できぬのが残念です。想い出は釜山、ソウル、板門店、金剛山と次々に走馬灯の如く浮び上ります。
ドットさん、アンドレアさん、なつかしいね。
伊藤さんと姜さん、此の二人のおかげで金剛山まで行けたことを感謝してます。
マッコリがおいしかったね。
日韓に横たはる問題、南北の問題がありますが、私達民間の力で少しづつほぐしてゆきませう。
SWK十周年万歳!!
合掌平成廿九年五月丗日
日本山妙法寺 酒迎天信
■チョ・ソファン 様より
充実した旅を続けることができました。
私のストーンウォーク・コリアへの想いは、昨年の2016年の春から始まっていました。
今、私が歩いて来た初めての祖国の道を振り返ると、一人ひとり皆が慕わしく忘れがたくてなりません。
感謝と皆さんに有り難うと言わせていただきます。
お互いに気を遣いながらも励ましあいの楽しみの毎日でした。
「10周年の集い」に参加出来なくて実に残念でなりません。
兵庫県三田市
チョ・ソファン
■大澤 忠夫 様より
ご無沙汰しています。
ストンウォークのご案内ありがとうございました。
六月三日の「10周年のつどい」には参加できません。大変申し訳ありません。
八月五日〜六日、ハプチョンでの行事には是非参加したいと思っています。
「10周年のつどい」が御盛会になることを祈願します。
皆様のご健斗に心から連帯します。
五月三十一日
大澤忠夫(註:その後、大澤様はご都合によりハプチョンでの行事に参加できなくなりました。)
■沢村 和世 様より
ストンウオークコリア10周年、ワクワクするような企画ですね。でも残念ながら私は加齢で身体が十分でありませんので、参加成らずです。
あのとき光州の国立墓地公園で、「5・18民主化闘争27周年記念集会」があり、故盧武鉉大統領の演説を聴くことが出来ました。
翌日、私は光州から長城までの1区間だけの参加で、長城の農業共同体に泊めてもらったことなど、なつかしく思い出します。
私は1995年、キム・ポンニョさんと知り合ったのが縁で、その後、おもに反原発の交流で三十数回訪韓できていますが、かつての宗主国の人民の子孫として、朝鮮半島の人々への申し訳なさは忘れたことがありません。
ところで、2008年11月、友人たちと観光で訪韓した折り、ポンニョさんに無理を言って、海印寺から車をとばして、陜川の被爆者福祉会館までまわってもらいました。
懐かしい石碑に会いたかったからです。そして会えたのでした。
日韓の平和と、人民の団結をいつまでも・・・
(下関 沢村和世)
■滝本 一晃 様より
南無妙法蓮華経SWK10周年の集いにご参加の皆様へ
私は北朝鮮との境界線にほど近い 韓国江原道の鉄原というところで朝鮮半島の平和を祈っている僧侶です。
SWKに参加した酒迎上人のご縁で韓国に来て、そして鉄原に小さな道場を構えています。
鉄原は地理的に朝鮮半島の中心に位置しており、以前は交通の要衝として栄えました。
穀倉地帯としても有名で、朝鮮戦争のときはこの地をめぐり激戦が繰り広げられました。
戦前は北の領土でしたが戦後は南の領土になりました。
道場の近くにある北朝鮮労働党舎は弾痕も生々しく、戦争の激しさを物語る遺構です。
付近には今も立ち入り禁止になっている地雷原が多々あります。
道場からは北朝鮮の山並みがよく見えます。
南北が互いを非難する大音量の放送が昼夜を問わず毎日聞こえてきます。
軍事車両が行き交う田舎町で、ここ数ヵ月は特に軍隊の動きが騒々しいです。
それでも農家の方々は例年通りに田畑で働いていますし、有事に備えて避難したり必需品の買い込みをしている人もいません。
そのような鉄原で 親しく交流する地元の方々もできて、国籍や宗教を問わずに皆で平和を祈っています。SWKの皆様の平和への思い、朝鮮半島への思いをありがたく、そして心強く感じております。
皆様のご健康とご活躍を心よりお祈り申し上げます。 合掌日本山妙法寺 鉄原道場 滝本一晃
■吉田 勲 様より
6/3日は参加できませんが、ストンウオークコリアの10年目を思い出しますと、
いつも廣瀬さんと一緒だったことを思い出します! (1枚の写真を添付)
参加できない私からの挨拶です。
1・ プレストンウオーク 3/24〜3/25の2日間土砂降りの雨の中
飯塚霊園から〜若松まで行われたその日 3人雨に濡れながら参加しました。
1・ 4/29日いよいよ釜山の民主公園より出発式が始まりましたね
長崎からの5人を含め25人の日本人と韓国の人100人以上の人が集まり
出発式では 廣瀬さんが日本の代表として挨拶されました。
1・ 碑石には 【謝罪と友好、平和のために】 と日本語で
その上にハングルで刻まれていました。
1・ 出発から台車の運転をさせて頂きました、長ーい曲がりくねった下り坂を
ブレーキを踏みながら慎重に運転しました。 懐かしい思い出です。
カムサハムニダ 長崎の吉田より
■カン・ジェスク 様より
스톤워크코리아 10주년을 맞이하며
서울에서 띄우는 평화메시지‘사죄와 우호, 평화를 위하여’
전쟁피해자를 추모하며 평화의 길을 걸었던
스톤워크 코리아 2007이 벌써 10주년을 맞이했군요.
10년 전처럼 지금도 각자의 현장에서
전쟁을 반대하고 약자의 인권을 지키며
평화의 길을 걷고 있는
스톤워크 코리아 참가자분들께
깊은 존경과 평화의 인사를 드립니다.
한국사회에서 원폭피해자문제,
특히 2세,3세의 문제는 마이널리티문제입니다.
그래서 저는 ‘한국의 히로시마’로 불리는 합천을 오가며
한국원폭피해자문제 관련하여 지속적인 활동을 하고 있습니다.
최근 한국사회는 ‘촛불집회’를 통해 민중의 힘으로
정권을 바꾸고 새로운 대통령을 맞이했습니다.
‘탄핵에서 탈핵으로!’
앞으로 남은 과제 중 하나는
원폭피해자들의 인권을 지키면서 탈핵의 길을 겉는 것입니다.
2017년 10주년을 맞이하여 8월 5일과 6일,
합천에서 스톤워크 코리아의 여러분들을 환영합니다.
여러분들의 뜻과 땀이 오롯이 새겨진
스톤워크 코리아의 추모비석과 수레도 여러분을 기다리고 있습니다.
한국에서 처음으로 원폭자료관(가칭)이 개관되는 뜻깊은 자리에
여러분 주위의 친구들, 손주들도 함께 손잡고 오시기 바랍니다.
2017. 6. 3
강제숙 드림
(日本語訳)
ストーンウォーク・コリア10周年を迎えて
ソウルから送る平和のメッセージ
「謝罪と友好、平和のために」と
戦争被害者を追慕し、平和の道を歩みました。
ストーンウォーク・コリア2007年から、もう10周年を迎えることになりました。10年前のように、今も皆様の現場で
戦争に反対し、弱者の人権を守り、
平和の道を歩んでいる
ストーンウォーク コリアに参加した皆様に
深い尊敬の思いと平和の挨拶を送ります。韓国社会では原爆被害者の問題、
特に2世、3世の問題はマイノリティーの問題でもあります。
それ故、私は「韓国の広島」と呼ばれるハプチョンに通い、
韓国原爆被害者問題に関与し、継続して活動しています。最近、韓国社会では「ロウソク集会・デモ」を通じて民衆の力により
政権を交代させ、新しい大統領を迎えました。
「弾劾から脱核に!」
今後に残された課題の一つは、
原爆被害者の人権を守り、脱核の道を歩むことです。2017年、10周年を迎える8月5日と6日に
ストーンウォーク・コリアの皆様をハプチョンで歓迎いたします。
皆様の思いと汗が静かに刻まれた
ストーンウォーク・コリアの追慕碑と台車も皆様を待っております。
韓国で初めてとなる原爆資料館(仮称)が開館する意味ある場所に
皆様の友人、お孫さんたちと手を携えていらっしゃることを願っています。2017. 6. 3
姜済淑 拝
(翻訳:木村英人)
■ドット・ウォルシュ 様より
On The 10th Anniversary of “Stonewalk Korea.”Dear Stonewalkers and friends,
It is with a smile and a tear that I remember the journey of the memorial stone in 2007.
I remember the great effort that the Japanese members elicited to build the caisson and to create the stone with the same message for the Koreans honoring those affected by the bombing and the war.
I smile when I think of Andrea and I singing and dancing in one of the resting places along the road. And there is a tear in my eye when I think of our stop at the home of the “Comfort Women” followed by marching to the Japanese embassy where the women held a vigil every week.
The Japanese Stonewalkers who brought an apology to the Koreans was perhaps the most significant and lasting message. It was brought with each step on the long journey made with hard work, sweat and courageous energy. And soon there will be a memorial in Hapcheon where visitors may come and honor those who have passed away and pledge to work for peace and an end to war.To each person who helped to make Stonewalk Korea possible I bow three times and will forever hold you in my heart.
With gratitude and love,
Arigato
Dot WalshPlease send my greetings and thank you to Jesuk Kang-san and the illustrator for the beautiful book.
(日本語訳)
ストーンウォーク・コリア 10周年記念の日に親愛なるストーンウォーカーの皆さん、友人の皆さんへ、
微笑みと涙で、私は今、2007年に行った記念の碑石の旅を思い起こしております。
日本のメンバーたちが、台車を工夫して造りだし、(原爆)投下や、戦争の犠牲になった人々を追悼しながら、韓国の人々のためにオリジナルと同じ文言が刻まれた碑石を創りだした、素晴らしい努力を今思い出しています。
道路脇にあった休憩所で、歌ったり、踊ったりしているアンドリアと私のことを思うと、つい微笑んでしまいます。また日本軍「慰安婦」の方々の家に立ち寄ったこと、そしてその後、彼女たちが毎週抗議の座り込みを行っている日本大使館まで行進したことを思う時、私の眼は涙であふれます。
韓国の人々のもとへ謝罪を運んだ日本人ストーンウォーカーたち自身が、おそらく最も意義深い、永続するメッセージだったことでしょう。それはハードワーク、汗、勇気あるエネルギーをもって実行された長い旅の一歩一歩で運ばれたのです。そして間もなく、ハプチョンで追悼集会が行われる予定です、そこでは訪問者の人々が集まり、亡くなった人々、平和のために働くことを誓い戦争を終わらせた人々が追悼されます。ストーンウォーク・コリアを可能にするために尽力した全ての人々に対して、私は3度の礼を捧げ、そして私の心の中に、あなた方を永遠に覚えていたいと思います。
感謝と愛をこめて、
ありがとう
ドット・ウォルシュカン・ジェスクさんと、あの美しい本のイラストレイターのかたに、お礼と感謝をお伝えください。
(翻訳:石川晶子)
■アンドレア・ルブラン 様より
(SWK10周年を機に寄せてくださったメールからの抜粋です。日本語訳はありません。)
It is the children we must turn to, whose understanding is crucial to the future of peace and justice in the world. It is our responsibility to nurture their innate empathy and teach them ways to be compassionate in their actions. The picture book, I hope, will reach many many children. I was pleased to learn that Dot-san has a friend who will translate the words for us.
I remember clearly our meetings with many of the Comfort Women. The vigil outside of the Japanese Embassy in Seoul was profoundly moving. Seeing the Comfort Women there, many with their grandchildren, and knowing they came Wednesday after Wednesday, was inspiring. Some of the women walked with us with the Stone for a short distance and then invited us to a lovely luncheon afterward where we had a chance to speak with them. Our visit to the retirement home for the women and the museum there was an experience I will never forget. I have a number of photographs from the Embassy, walk, luncheon and that visit I could send you if you would like.
I am enormously impressed by the efforts of you and the entire SWK team, not only in creating Stonewalk Korea which took enormous planning and work, but also for bringing all this together for this anniversary commemoration.
My greetings and love to all of you in Fukuoka. I wish I could be there with you this Saturday, but want you to know I will be thinking of you.
Andrea
■次の2つのメッセージは、2015年6月にアンドレア・ルブラン様より頂いたものです。
1 は、絵本『平和の石』の原稿として書かれたものですが、最終的に掲載されなかった文章です。
2 は、?のメッセージと一緒にメールで頂いた文章です。
1
My Message to the Children of Korea is the same message I give to my grandchildren and send to all the grandchildren of all the people all over the world. It is a message about how we have choices to make every moment and that those choices can change the world.
It is a message about kindness. It is a message about learning who another person is and the things that make them happy …or sad. It is a message about how all of us are more alike than we are different. It is a message about looking for ways to solve problems without hurting anyone else.The world we create will depend on the choices all of us make and what we nurture in our societies, ourselves and our own children and grandchildren. It will depend on the stories we tell ourselves and that we tell our children and their children. If we honor kindness and love above hatred and violence we must choose it. If we want peace, we must choose it for everyone
韓国の子供たちへの私のメッセージは、私が私の孫たちへ送るメッセージ、また世界中のすべての人々のすべての孫たちヘ送るメッセージと(全く)同じものです。それは、どのようにして私たちがあらゆる好機を作るために、世界を変えることが出来るような好機を造るために選択をするのか、というメッセージです。
それは、やさしさについてのメッセージです。相対する人は誰なのかを学ぶこと、また人々を幸せにしたり、悲しませたりする事柄について学んでほしいというメッセージです。私たちは皆、違いよりもいかに似ていることが多いか、というメッセージであり、ほかの誰をも傷つけることなく問題を解決する方法を見つけてほしいというメッセージなのです。私たちが創造する世界は、私たちが行なう選択にかかっています。また私たちが社会の中で、私たち自身を、私たちの子どもたちを、孫たちをどう育てていくかにかかっています。世界は、私たちが自分になにを語るか、また子供たち、またその子どもたちに何を語るのか、その内容にかかっています。もし私たちが、憎しみや暴力よりもやさしさや愛を大切に思うならば、そちらを選択しなければなりません。もし平和を望むならば、皆のために、それを選択しなければなりません。
2
Stonewalk Korea was an extraordinary experience that has given me much to think about. The images that are indelibly etched in my mind are one very positive one of the Comfort Women who choose to be present with such dignity and perseverance outside the Japanese Embassy every Wed. morning with their grandchildren at their sides.
The other, for me distressing, image is of all the very young school children climbing all over the tanks and planes at the War Memorial Museum waving 'victory signs' (not 'peace signs'!) and having their photos taken.
It was as if the planes and tanks were toys and war was a party! I feel the same about the glorification of war here in the United States.
We have critical choices as societies and we can choose to honor the peacemakers rather than the war makers. What we choose to celebrate and glorify matters. How we choose to be heard and how we listen to one another matters.ストーンウォーク・コリアは、珍しい経験で、多くのことを考えさせられました。私の心に深く刻まれた心象は「日本軍慰安婦」の方たちの前向きな姿でした。彼女たちは毎週水曜日の午前中、お孫さんたちを側に日本大使館の前で、威厳と忍耐をもって訴えに出ることを選択しています。
他の心象風景は、私には辛いものでしたが、幼い小学生たち全部が戦争記念館で、戦車や飛行機に昇り、勝利のサイン(ピースサインではなく)をして手を振り、写真を撮っている風景です。
それはあたかも飛行機や戦車はおもちゃで、戦争はパーティーのようだということでした。ここアメリカ合衆国でも、戦争を讃えることについては同じだと感じています。
私たちの団体としては、批判的な選択をしていますし、私たちは 戦争仕掛け人よりは平和の作り手を大切にする選択をすることが出来ます。 私たちは、お互いの問題を聴いてもらうために、また、耳を傾け合うためにどのように選択できるのか。 いろいろな事を祝ったり、賛美するために、私たちは何を選択するのか、などいろいろな事が選択できるのです。
(翻訳:石川晶子)
以上
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2007年4月29日に釜山の民主公園を出発して6月15日に軍事境界線近くの臨津閣に至ったSTONEWALK KOREA 2007から今年で10年になります。
この10年の節目を迎えて、久しぶりに当時の顔ぶれで集まろう、ということになりまして、以下の要領でSTONEWALK KOREAの同窓会を開催します。旧交を温めると共に、現在話が出ている韓国訪問の件についても話し合いをしたいと思います。
なお、下記会場では飲食が基本的にできませんので、終了後に希望者は別会場に移動して二次会をおこなうことも検討中です。
参加予定の方やお問合せにつきましては、ストーンウォークコリアのメーリングリストに参加されている方はメーリングリスト上で、もしくは swfukuokaアットマークkshibata.net までメールでお願いします。
「ストーンウォークコリア交流会」
■日時:
6月3日(土)18:30〜21:30
■場所:
福岡市NPO・ボランティア交流センター「あすみん」セミナールームB・C(最大50名)
http://www.fnvc.jp/access
福岡市中央区今泉1-19-22 天神クラス4階
tel.092-724-4801
※駐車場はありません。車で来られる場合は近隣の民間駐車場をご利用下さい。
【電車】西鉄福岡(天神)駅南口より徒歩5分
【地下鉄】七隈線「天神南」駅 1番出口から徒歩6分/空港線「天神」駅より徒歩12分
【バス】 西鉄バス「今泉1丁目」バス停から徒歩1分
遠方からJRで来られる方は、博多駅に隣接する博多バスターミナル(旧称:交通センター)1階4のりばから「国体道路・六本松」経由のバス路線(114・200・201・202・203・204番系統など)に乗って「今泉1丁目」下車(所要約15分、230円)で乗り換えなしで来れます。
※1階にソニーストアがあり、隣にTSUTAYA、国体通りをはさんで真向いにアップルストアがあります。国体通りと西通りがT字に交わる交差点の国体通り沿いの南側に位置します。
※ソニーストアの横のドアから入って奥にエレベーターがあるので4階で降りて下さい。
※エレベーターを降りて正面に受付があり、セミナールームは受付の左側です。
※会場の予約は「ストーンウォーク福岡」の名称でしています。
今年1月20日のストーンウォークコリアの会議で使った場所です。但し、部屋は1/20の時よりも広い部屋(受付の右側ではなく左側)です。
なお、「あすみん」は昨年4月に現位置へ移転しました。以前の青年センター5階にあった当時とは場所が違いますのでご注意ください。
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旧聞になってしまいますが、一昨年(2015年)に八幡製鉄所を含む筑豊や三池の炭鉱遺跡がユネスコの世界文化遺産に登録された後、 ?東録(ペ・ドンノク)さん が韓国を訪問して語った話が韓国「ハンギョレ新聞」で記事になっていたのを見つけたので、紹介します。
八幡製鉄所の案内板に朝鮮人徴用の記録残したい
強制徴用被害2世在日同胞の?東録さん
ハンギョレ新聞日本語版
2016.6.10
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/24366.html
JUGEMテーマ:ニュース
]]><ストーンウォーク・コリア 日本側挨拶文>「謝罪と追悼、平和への祈りを込めて」
先のアジア・太平洋戦争において、日本は2000万人におよぶアジアの人々に犠牲を強いました。特に日本の帝国主義政策の下で、日本は朝鮮半島を植民地として支配し、朝鮮の人々に非常に大きな苦しみを与えました。植民地支配に反対する人々を弾圧し、創氏改名を強制し、言葉を奪い、伝統的な文化を圧殺しました。日本が朝鮮半島の人々に対して与えた苦しみや痛みは、私たちがどんなに償っても償うことができないものだと思います。戦後61年を経た今も、日本政府はきちんとした謝罪や補償をしていません。
そのような中で、被爆60年の2005年に米国の市民が長崎から広島まで行った行進「ストーンウォーク」を、私たち日本の市民が朝鮮半島でやろうという計画を立てました。「ストーンウォーク・ジャパン」というのは、米国の市民が広島と長崎への原爆投下を謝罪し、原爆犠牲者とすべての戦争犠牲者の鎮魂を願って行われた行進です。
2007年、今度は私たち日本の市民が「ストーンウォーク・コリア」を行い、朝鮮半島の人々に対する謝罪の気持ちを表明し、同時に戦争において犠牲になられた人々の霊を慰めたいと願っています。謝罪と追悼の歩みが平和な未来に続くことを信じて、一歩一歩祈りを込めて歩みたいと思います。廣瀬方人(ストーンウォーク・コリア2007日本側実行委員会・長崎)
韓国・済州島の海軍基地建設が進められているカンジョン(江汀)村では、毎日まるで戒厳令下のような緊張と対立が続いている。もはや、この村では基本的な人権や常識さえ通用しない。60余年前の済州4・3道民虐殺事件を想起せざるを得ない状況だ。
沖縄では米軍政下、住民の人権が蹂躙・剥奪された。済州島の米軍政下でも4・3虐殺事件があった。アフガニスタンの米軍政下、トラボラからヘルマンドにかけても虐殺事件が起きている。イラクの米軍政下では、ファルージャで虐殺があった。米軍の軍政への戦闘教範は、最初は1940年代にイタリア、アフリカ北部の占領地域で作られ、沖縄において完成された。そして、韓国で再び実施され、現在まで続いている。まるで判で押したかのように、米軍政統治が行われている所ではどこでも、軍政の最終段階である親米政権樹立のための選挙のその直前に、大量虐殺が行われている。これは米軍の戦闘教範による必然的な結果なのだ。沖縄と済州島の歴史的悲劇は、同じ加害者によってもたらされたものだ。
1990年、湾岸戦争で劣化ウラン弾が使われた。1995年、沖縄で劣化ウラン弾の誤射事故が起きた。1997年、韓国の京畿道ヨンチョンで劣化ウラン弾の暴発事故が起きた。1998年、ハワイ停泊中の米軍艦から劣化ウラン弾が誤って発射された。韓国の京畿道スウォンとオサン、忠清北道チョンジュの基地、沖縄の嘉手納基地の弾薬庫には、300万発の劣化ウラン弾が貯蔵されていることが明らかになっている。これはイラクで使われた劣化ウラン弾の3倍以上の量だ。核トマホークを搭載した原子力潜水艦は、ハワイと沖縄のホワイト・ビーチを経由し、韓国のチネ(鎮海)に寄航する。もはや、これらの米艦船が済州島の海軍基地に寄航するのは自明なことだ。米軍の駐留基地周辺では例外なく、レイプ(性暴行)事件が頻発している。米軍基地周辺ではこれまた例外なく、騒音やガソリン流出など環境破壊が頻発している。沖縄と済州島で起きている今現在の悲劇の加害者もまた、同一だ。
韓国・日本・沖縄・済州島を結ぶ最も重要な環は国連軍司令部だ。1951年9月8日、日米安保条約と同時に締結された「吉田‐アチソン交換公文」には、「日本政府は韓国での国連軍の活動を支援するために、全ての施設と役務を提供する」となっている。この公文書により、横須賀米海軍基地、横田米空軍基地、キャンプ座間、佐世保米海軍基地、沖縄の嘉手納空軍基地、普天間米海兵隊基地、ホワイト・ビーチが国連軍司令部の後方基地と指定された。国連軍司令官の作戦統制範囲は38度線の非武装地帯から沖縄に至る範囲であり、日米韓の軍事同盟は単なる抽象的概念ではなく、たった1人の司令官が指揮・統制する軍事機構なのだ。
日本と韓国、そして沖縄と済州島の国境は、米軍にとっては何の意味もなく、単なる一つの戦場にすぎない。沖縄と済州島が同じ歴史、同じ悲劇、同じ目標を共有せざるを得ない理由がここにある。日・韓・沖縄・済州島の運動が連帯を越え、連合へと発展せざるを得ない理由がここにある。
われわれは、カンジョン村に作られようとしている「軍民複合美港(民間用・軍事用複合港湾施設)」の建設に、憂慮を表明せざるを得ない。軍事基地と民間施設が一緒に建設されることは、常識的に理解できないことである。これは、動く弾薬庫ともいえる軍艦で発生する偶発的事故や、他国による偶発的攻撃に、無責任にも民間人をさらすことになる。
われわれは、日韓中の全ての市民生活に必要なエネルギー源をもたらす海洋輸送路が、緊張関係の中に置かれることを望まない。緊張に備えるという口実で、軍事態勢の強化そのものが緊張を作り出すからだ。「海洋大国」の膨張戦略は沿岸国の脅威となり、沿岸国としては無理な海洋軍備競争に追い込まれる状況を生み出す。海洋輸送路の軍事化が強化されれば、脅威を受けるのはわれわれの市民生活だ。
われわれは、日韓中の新しい建設的な海洋制度の樹立に逆行する済州島の海軍基地建設に反対する。韓国側が明らかにしたように済州島の海軍基地はイオ島の水域防備を目標にしているため、韓中における海洋衝突の導火線となる。イオ島は韓中の排他的経済水域が重なり合うため、韓国海軍は済州島を海軍基地建設の予定地とした。そもそも「海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)」によれば、排他的経済水域とは日本や米国等の海洋覇権国に立ち向かう第3世界の諸国が、海洋管轄権を拡大するのに成功した歴史的成果と言えよう。確かにこの制度の適用過程で、日韓中の東北アジア海洋水域で軍事的緊張が高まっていることも事実だ。だが、日韓中は互いの漁業協定を締結し、東北アジアの海洋制度を作る最終段階に至っている。東北アジアにおける海洋制度の構築は軍事力でなく平和的に、また交渉を越える信頼によって完成されるものだ。各国がこれまで積み上げてきた忍耐と譲り合いそして信頼を打ち壊す軍事力至上主義では、決して東北アジアの海洋平和を推し進められず、国連海洋法条約に真っ向から挑戦するものである。
われわれは、カンジョン村民とそれを守ろうとする人々の人権を侵害し、表現の自由を奪う弾圧を直ちに中止することを求める。住民生活と直結する問題提起や抗議は、全て韓国の憲法で認められている市民の当然な権利だ。違法行為が予想されると決めつけ、事前に制裁を加えるなどということは明々白々な脱法行為であり、法治国家の根幹を揺るがす暴挙だ。このようなことは戒厳令の下においても、あってはならないことだ。
われわれは、これまでの歴史的経験により済州島と沖縄、日本と韓国の問題は決して国境の向こうの他人事とは考えられず、次のように主張する。
―欺瞞的で危険な軍民複合港湾建設に反対する。
―東北アジア海上輸送路における軍事的緊張を増幅する海軍基地建設に反対する。
―東北アジアの平和的海洋秩序の構築に逆行する海軍基地建設に反対する。
―住民同士の衝突を助長する海軍基地建設に反対する。
―人権を侵害し、表現の自由を奪い、弾圧する警察庁を糾弾する。
―人類の自然文化遺産を破壊する不法工事の強行を中断せよ。
2012. 4. 7.
済州海軍基地建設反対! 沖縄−済州、日本−韓国平和連帯行動
賛同者と 賛同団体
「日本を歩く」と言う本を8月末に出版され、その後一度大邱で写真展をして、今回はソウルでの展示会になります。あるいはその期間にソウルに行く機会がありましたらと思いお知らせいたします。なお添付した文は、展示序文とあります。
李在甲 写真展
「傷痕に咲く野花」―強制連行・徴用朝鮮人の痕跡を中心に―
場所:ソウル・インサ洞 平和美術館 (曹渓寺<チョゲサ>の道路の反対側)
期間:2012年1月11日~2月10日
1. 展示に当たって
상처 위로 핀 풀꽃(傷痕に咲く野花)
(強制連行・徴用朝鮮人の痕跡を中心にして)
1996年2月から始めた韓国内の日本文化(1910年〜1945年の間に建てられた近代建築物に焦点を当てた)と関連するプロジェクトの写真の一環として、始めた今回の日本の各地(福岡、大阪、長崎、広島、沖縄に関する作業は、強制連行・徴用された朝鮮人の痕跡を記憶し、記録するため2002年2月から準備を始めた作業であった。
1945年8月6日、米国は広島に原爆を投下した9日後の8月15日午前12時を期して日本の天皇は降伏宣言を放送することになった。この日、全国の刑務所から2万余名の独立運動に携わった者達が釈放された。大韓民国の刑務所だけではなく、全国の大小の軍部隊及び工事中であった全ての施設が停止され、解放の喜びを迎えた。
歴史は道の上にある。
日本の本土も例外ではなく、全国土に建設中であった戦争準備のための全ての建築物、炭坑採掘及び軍需物資を保管するための洞窟等の掘削工事が中断された。それから63年が過ぎた2008年1月一次の踏査として、日本各地に散在していたるそれらの現場に出かけた。戦争が終わってから長い歳月が過ぎたにもかかわらず、依然としてそれらの場所では、戦争準備をするために奔走していた当時の物音が聞こえる様であった。石炭採掘のため植民地の朝鮮人達が強制連行され、無慈悲な程抑圧されていた福岡県の筑穂地域は、私にとって一生忘れることのできない残酷で、切ない記憶である。
軍需物資を生産するために、山全体を要塞化した広島の呉地域の洞窟は、今でも戦争の万般の準備がされているようで鳥肌が立つような恐怖感を感じた場所の一つだ。数多くの朝鮮人達が強制連行・徴用され、アジア各地はもちろんのこと、日本の最北端の北海道まで組織的に投入されたのだ。
沖縄の読谷村の「恨の碑」がある場所では、ここまで連れて来られたことの驚きと怒りを越えて惨憺たる思いに駆られ、当時の朝鮮人達の心情が伝わって来るようであった。私の本籍は「慶尚北道尚州(サンジュ)市洛東面808番地」である。歴史をありのまま残し、過去の誤りを謝罪するという思いを抱いた良心的な日本人の献身的努力で作られた「恨の碑」の碑文の下に、犠牲者の本籍が書かれている石があったが、その石に私の本籍と同じ住所を見出した。
小学校時代、祖父から村の人が日本に連れて行かれたという話を聞いたことがあった。その頃、連れて行かれた場所が日本のどの地域であったのか、それが何を意味するのかを理解も出来なかった。薬酒を一杯やりながら鼻歌を歌いながら、訳もよく分らない昔話をぼそぼそ話していたことだけを記憶している。今となっては祖父が亡くなったのは(1988年)大分前のことだ。記憶さえもあまりはっきりもせず、私にとっては特に意味もなかった当時の話が、沖縄の読谷村の「恨の碑」があるこの場所に来て、初めてその内幕を知ることになった。
その瞬間、祖父の顔が浮かび、涙が出てきた。声なく流れる涙の意味は何なのだろうか。韓国からこの作業のために船に乗って出発する時、少し漠然とした、しかも訳の分らない恐れのようなもの(1人での旅でもあったので)があったのも事実だ。でもその瞬間、今からは取りかかる作業は、単に漠然とやりたいからというものではなく、時間がこれ以上過ぎ去る前に、私がしなくてはならない作業であるという思いを抱いた。「歴史は道の上にある」、そして私達の民族の歴史が、正に私と私の家族の歴史でもあると確認した瞬間でもある。
ドキュメンタリー写真は時代、社会、文化、歴史そして個人的な性向が適切に包含した、意図的なエッセイであり、言語とイメージ、そして人間の行動を通じて、その意味を効果的に伝達しようとする表現様式である。それ故、ありのままの現実と不平等な社会的条件に自分の身を任せて娯楽性の強い、現実逃避的な娯楽映像とは反対の立場で、観客をして自分の生と私達の姿を顧みさせる伝達媒体と言うことが出来る。
単純に事件に対する記録や、証明としての役割ではなく、人間の生、さらに言えば人文主義的な立場から接近出来る特性を備え、現代文明や社気的現象等に対して個人的あるいは公益の目的でお互いに連関性がある対象を扱うことを意味している。
解放後、近代化を経て韓国文化・歴史は周辺国家との相互関連性と各国の利益に従って多様な観点から変化、発展してきた。特に日本と韓国の関係は周辺国家との関連性以上の意味を持ち現在まで至っていて、対立と葛藤の関係を越え、平和と未来のための発展を模索中であると言える。歴史というのは一人の人間、一つの国家にとって、現在と同時に共存するものであり、個人の所有物ではない。写真家が過ぎ去った過去の痕跡を記録(記憶)として残すことは、社会的現象の過程であり、この時個人は社会的な存在として参加するので、公共的な意味を個人的に提示することになる。
この作業は未だ進行中である。いたずらに結論を出す写真作業ではなく、その過程を通じて歴史を読み、日本に残っている朝鮮人の強制連行に関する話をしようとするものだ。日本は4つの島(北海道、本州、九州、四国)と、8つの地域(北海道、関西、東北、中国、関東、中部、四国そして九州)に別れているが、現在まで5つの地域を踏査した。最北端の北海道まで作業をしようとすれば未だ行く道は遠い。
韓国の大地、その傷を受けなかった所はどこにもない。日本も例外ではない。歩む道の上で見つけた朝鮮の苦痛に満ちた歴史が私に語りかける。敗戦と同時に止まってしまった誰もいない空間には、時に小さな声がささやき、時に痛みに満ちた歴史を私に語りかけてくる。どうしても通り過ぎることのできない彼らの日常は、義務だけがあり、権利のない彼らだけの闘いとして戦争が終わった今も進行中である。
李在甲(イ・ジェカプ)
]]>]]>九州筑豊地域強制動員者
証言集会
先の戦争に於いて日本の植民地政策により、ここ筑豊には15万人にものぼる朝鮮人が炭鉱で過酷な労働を強いられ、多くの人々が犠牲となりました。
韓国併合100年に当たる今年、韓国から筑豊に強制動員された方をお招きし、直接その当時の実態を聞く「証言集会」を下記の日程で開催します。
過去の歴史に目を向け、不幸な過ちを二度とくり返さない決意を込め、日韓・日朝関係のみならず東アジア全体をつなぐ友好と親善の関係を作っていきたいと考えています。多くの人の参加をお待ちしています。「無窮花堂建立10周年記念事業」
九州筑豊強制動員者証言集会
〜『韓国併合』100年を記憶に刻むために〜
とき 2010年6月26日(土)13:00〜17:00
ところ 飯?市立岩公民館 4階 大会議室(飯?市役所前)
内容 強制動員者による証言(韓国より3名)
講話 韓国代表、日本代表
アトラクション
資料代 500円
主催 NPO法人国際交流広場無窮花堂友好親善の会
飯?市新飯塚24−3(090-9561-6737)
韓日100年平和市民ネットワーク(韓国)
後援 飯塚市・嘉麻市・桂川町
※この事業は(財)福岡県国際交流センターの助成を受けて実施しています。