4月4日(第6日最終日)
2階の大部屋へ行ってみると未だ朝食中であった。湯掻いたジャガイモやブロッコリがテーブルに出されていた。ジャガイモは水っぽく全然おいしくなかったが、後でこれは畑から拾ってきたものだと分かり納得。そう言えばアルテゥル飛行場の畑のさつまいもを思い出した。
朝食後近くのオルムまで散歩に出かける。まさに桜が満開で、私たちの足音に気づいた目白が目の前を群れをなして移動するのが見えた。桜のトンネルはしばらく続き頂上に出ると左手にトデゥの港が一望の下に見渡され、後方の町並みのはるか向こうにはもうすっかり馴染みのハルラ山が見える。済州島の国際空港が眼下に見え飛行機の離着陸が管制塔から見るかの如く近くに見えた。古い墓が1つありトルハルバンが墓守をしていた。ほんのしばらくみんなとはぐれてオルムの雑木林の間に分け入ると他にもいくつか墓があった。オルムの麓の小さな寺を見て宿舎近くのレストランに着いたときはもう11時を回っていた。
ハルラ山望むオルム(小丘)の桜かな
最後の昼食を近くのレストランでとる。ここでも魚のキムチ鍋が出てきた。
宿舎にもどり荷物を車に載せる。ここでちょっとした行き違いが起こった。機内に荷物を預ける必要のある者はチェックインの関係で先に荷物と一緒に車に乗り組むことにしていたらしいのだが、一方荷物の積み下ろしには力がある男性が必要。女性は加勢にならないということだ。気がつけば神田千種さん、長崎一十さん、それに私の3人が積み残されていた。「あらっ、長崎さんがどうしてここにいるの。乗ったんじゃなかったの?」とカンジェスク氏。私は事情を知らなかったから涼しい顔をしていたが、周囲があわてふためいた。車はないし、どうやって空港に行くのかと言うわけだ。タクシーを拾うことにしたのはいいが、この辺りへめったなことでタクシーが通りかかることもなさそうなのである。やっと来てみれば先客が乗っている。そのうち帰りの飛行機に間に合うだろうかと次第に不安になりだした。手分けしてタクシーを待ち受けた。無事タクシーを拾ったときはさすがに安堵した。現在カンジェスク氏の事務所で学んでいる女性チョンウンオク氏がタクシーに同乗して面倒を見てくれた。
予定されていたらしいショッピングの時間もなく空港に着いたので、免税店でウォンを使い果たそうと買い物をする人もいた。帰国の飛行機は予定通り14:20済州島を飛び立った。朝の散歩で昨夜の宿舎と飛行場の位置関係が分かったので、窓からしっかりと朝登ったオルムと宿舎が確認できた。今度来るときはハルラ山に登りたいと思いつつ済州島に別れを告げた。
4・3事件の真相解明と被害者の人権回復とが進むことを願い、また人権侵害を二度と犯してはならないという教訓を世界に広めて行かなければならないと感じる巡礼の旅であった。
後記
この報告は備忘録として思い出せる限り時間に沿って詳しく旅程に従って記した。同行した皆さんにとっても備忘録になればと考える。その意味もあって個人の名前を書かせて頂いたが、お許しをお願いしたいと思います。韓国の歴史に詳しい人にとってはくどいと感じられるところが多々あるかと思われるが、私にとっては初めて学ぶことがあまりにも多く自分の確認の為にも記して置きたいと思った。人名、地名が間違っている場合は指摘訂正して頂ければありがたい。