STONEWALK KOREA 2007 BLOG

世界中の戦争で苦しめられた人々を悼むための碑石を、特別制の台車にのせて、朝鮮半島を縦断して、人力で牽きながら歩く「ストーンウォークコリア」の告知のためのサイト
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李在甲写真展「傷痕に咲く野花」―強制連行・徴用朝鮮人の痕跡を中心に―
李在甲(イ・ジェカプ)先生の写真展が下記の要領で開かれるとのことです。

「日本を歩く」と言う本を8月末に出版され、その後一度大邱で写真展をして、今回はソウルでの展示会になります。あるいはその期間にソウルに行く機会がありましたらと思いお知らせいたします。なお添付した文は、展示序文とあります。


李在甲 写真展

「傷痕に咲く野花」―強制連行・徴用朝鮮人の痕跡を中心に―

場所:ソウル・インサ洞 平和美術館 (曹渓寺<チョゲサ>の道路の反対側)

期間:2012年1月11日~2月10日



1. 展示に当たって

상처 위로 핀 풀꽃(傷痕野花)

(強制連行・徴用朝鮮人の痕跡を中心にして)

 1996年2月から始めた韓国内の日本文化(1910年〜1945年の間に建てられた近代建築物に焦点を当てた)と関連するプロジェクトの写真の一環として、始めた今回の日本の各地(福岡、大阪、長崎、広島、沖縄に関する作業は、強制連行・徴用された朝鮮人の痕跡を記憶し、記録するため2002年2月から準備を始めた作業であった。

 

 1945年8月6日、米国は広島に原爆を投下した9日後の8月15日午前12時を期して日本の天皇は降伏宣言を放送することになった。この日、全国の刑務所から2万余名の独立運動に携わった者達が釈放された。大韓民国の刑務所だけではなく、全国の大小の軍部隊及び工事中であった全ての施設が停止され、解放の喜びを迎えた。

 

歴史は道の上にある。

 日本の本土も例外ではなく、全国土に建設中であった戦争準備のための全ての建築物、炭坑採掘及び軍需物資を保管するための洞窟等の掘削工事が中断された。それから63年が過ぎた2008年1月一次の踏査として、日本各地に散在していたるそれらの現場に出かけた。戦争が終わってから長い歳月が過ぎたにもかかわらず、依然としてそれらの場所では、戦争準備をするために奔走していた当時の物音が聞こえる様であった。石炭採掘のため植民地の朝鮮人達が強制連行され、無慈悲な程抑圧されていた福岡県の筑穂地域は、私にとって一生忘れることのできない残酷で、切ない記憶である。

 

軍需物資を生産するために、山全体を要塞化した広島の呉地域の洞窟は、今でも戦争の万般の準備がされているようで鳥肌が立つような恐怖感を感じた場所の一つだ。数多くの朝鮮人達が強制連行・徴用され、アジア各地はもちろんのこと、日本の最北端の北海道まで組織的に投入されたのだ。

 

沖縄の読谷村の「恨の碑」がある場所では、ここまで連れて来られたことの驚きと怒りを越えて惨憺たる思いに駆られ、当時の朝鮮人達の心情が伝わって来るようであった。私の本籍は「慶尚北道尚州(サンジュ)市洛東面808番地」である。歴史をありのまま残し、過去の誤りを謝罪するという思いを抱いた良心的な日本人の献身的努力で作られた「恨の碑」の碑文の下に、犠牲者の本籍が書かれている石があったが、その石に私の本籍と同じ住所を見出した。

 

 小学校時代、祖父から村の人が日本に連れて行かれたという話を聞いたことがあった。その頃、連れて行かれた場所が日本のどの地域であったのか、それが何を意味するのかを理解も出来なかった。薬酒を一杯やりながら鼻歌を歌いながら、訳もよく分らない昔話をぼそぼそ話していたことだけを記憶している。今となっては祖父が亡くなったのは(1988年)大分前のことだ。記憶さえもあまりはっきりもせず、私にとっては特に意味もなかった当時の話が、沖縄の読谷村の「恨の碑」があるこの場所に来て、初めてその内幕を知ることになった。

 

 その瞬間、祖父の顔が浮かび、涙が出てきた。声なく流れる涙の意味は何なのだろうか。韓国からこの作業のために船に乗って出発する時、少し漠然とした、しかも訳の分らない恐れのようなもの(1人での旅でもあったので)があったのも事実だ。でもその瞬間、今からは取りかかる作業は、単に漠然とやりたいからというものではなく、時間がこれ以上過ぎ去る前に、私がしなくてはならない作業であるという思いを抱いた。「歴史は道の上にある」、そして私達の民族の歴史が、正に私と私の家族の歴史でもあると確認した瞬間でもある。

 

 ドキュメンタリー写真は時代、社会、文化、歴史そして個人的な性向が適切に包含した、意図的なエッセイであり、言語とイメージ、そして人間の行動を通じて、その意味を効果的に伝達しようとする表現様式である。それ故、ありのままの現実と不平等な社会的条件に自分の身を任せて娯楽性の強い、現実逃避的な娯楽映像とは反対の立場で、観客をして自分の生と私達の姿を顧みさせる伝達媒体と言うことが出来る。

 

 単純に事件に対する記録や、証明としての役割ではなく、人間の生、さらに言えば人文主義的な立場から接近出来る特性を備え、現代文明や社気的現象等に対して個人的あるいは公益の目的でお互いに連関性がある対象を扱うことを意味している。

 

 解放後、近代化を経て韓国文化・歴史は周辺国家との相互関連性と各国の利益に従って多様な観点から変化、発展してきた。特に日本と韓国の関係は周辺国家との関連性以上の意味を持ち現在まで至っていて、対立と葛藤の関係を越え、平和と未来のための発展を模索中であると言える。歴史というのは一人の人間、一つの国家にとって、現在と同時に共存するものであり、個人の所有物ではない。写真家が過ぎ去った過去の痕跡を記録(記憶)として残すことは、社会的現象の過程であり、この時個人は社会的な存在として参加するので、公共的な意味を個人的に提示することになる。

 

 この作業は未だ進行中である。いたずらに結論を出す写真作業ではなく、その過程を通じて歴史を読み、日本に残っている朝鮮人の強制連行に関する話をしようとするものだ。日本は4つの島(北海道、本州、九州、四国)と、8つの地域(北海道、関西、東北、中国、関東、中部、四国そして九州)に別れているが、現在まで5つの地域を踏査した。最北端の北海道まで作業をしようとすれば未だ行く道は遠い。

 

 韓国の大地、その傷を受けなかった所はどこにもない。日本も例外ではない。歩む道の上で見つけた朝鮮の苦痛に満ちた歴史が私に語りかける。敗戦と同時に止まってしまった誰もいない空間には、時に小さな声がささやき、時に痛みに満ちた歴史を私に語りかけてくる。どうしても通り過ぎることのできない彼らの日常は、義務だけがあり、権利のない彼らだけの闘いとして戦争が終わった今も進行中である。

 

 李在甲(イ・ジェカプ)

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